稲 毛 八 景

「 ゆかりの家夕照」


 



  溥傑寓居       溥傑寓居
滿枝黃橘碧天秋  枝に満つる黄橘 碧天の秋
小菊可憐風又柔  小菊可憐 風又柔らかなり
今日不看蒼海渺  今日 蒼海の渺たるを看ざるも
鴛鴦舊屋愛情稠  鴛鴦の旧屋 愛情稠し



庭榭依然留古香  庭榭依然 古香を留め
海邊將没照斜陽  海辺将に没せんとして斜陽照らす
獨來千葉渾如夢  独り来たる千葉 渾て夢の如し
不識鴛盟何處翔  識らず 鴛盟何処くに翔けるかを

 (想溥傑獨返舊居 溥傑の独り旧居に返るを想ふ)



命運如何昔日悲  命運如何ん 昔日悲し
茫茫忽過在居時  茫々忽ち過ぐ居に在りし時
空傳照片新婚喜  空しく伝ふ 照片 新婚の喜び
今只菊花軒下滋  今は只だ菊花 軒下に滋し
「ゆかりの家」とは、昭和十二年、愛新覚羅溥傑氏と嵯峨侯爵家の長女浩(ひろ)氏が新婚生活を半年ほど送った家である。浅間神社に隣接する。もとは水飴商鈴木氏の別荘だった。
母屋には系図や色紙・書軸などが展示され、床の間には妻を失ったのち再び訪れた際に詠った七絶二首が飾られている。詩を読んだあとで書斎に展示されている二人の仲睦まじい写真を見ると、かつての二人の生活空間が蘇ってくる。庭にはミカンがなり、菊が咲き、樹木が鬱蒼としていた。貞明皇后より拝領した白雲木や、防空壕もあった。垣根越しにかつて海だったところが見える。むかしは、夕照に染まる海も、寓居も美しかったことだろう。
 
「浅間神社晴嵐


 



 稻毛淺間神廟   稲毛浅間神廟
千樹森森社殿雄  千樹森々 社殿雄なり
諸神鎭坐謹嚴中  諸神鎮坐す 謹厳の中
低頭致敬眼前見  頭を低れ敬を致せば眼前に
            見(あらわ)る
靑穗油油富嶽隆  青穂油々 富岳の隆き
 「浅間神社晴嵐」は稲毛浅間神社の晴嵐である。神社は木花咲耶姫命、瓊々杵尊、猿田彦命等の諸神を祀る。富士山を模した円錐形の土盛りの頂上に神社があり、参道も富士山のように三箇所ある。社殿は富士山と向かいあうように造られているという。晴嵐は晴れた日に立ち上る山の気。境内からはかつて海だったところがわずかに俯瞰できる。七五三詣での親子連れで賑わっていた。
 
「松林夜雨」


  


  松林夜雨      松林夜雨
嚴冬綠蓋絶無凋  厳冬 緑蓋 絶えて凋む無く
露出本根還避潮  露出せる本根 還た潮を避く
鷗外藤村曽在處  鷗外 藤村 曽て在りし処
風過忽聽雨蕭蕭  風過ぐれば忽ち聴く 雨の蕭々
             たるを

 
「松林夜雨」は稲毛公園。高い黒松の老木が林をなし、根が地上に露出する「根上がりの松」がある。この松林にはかつて「海気館」などの有名な旅館が多くあり、森鷗外や島崎藤村等の文人墨客が多く訪れたという。この日は町内のイベントがあり、親子連れが集まっていた。


「神谷別荘秋月」

 


 海龍王祠      海龍王祠
古來傳承海濱祠  古来伝承す 海浜の祠
癒眼靈泉又自奇  眼を癒す霊泉 又自ずから奇なり
雲湧風旋松樹戰  雲湧き風旋れば松樹戦
            (おのの)き
大柯忽化玉龍馳  大柯忽ち玉龍に化して馳す



 神谷別莊秋月    神谷別荘秋月
龍王古塚舊相傳  龍王の古塚旧(もと)相伝ふ
翁建祠碑欽愈憐  翁 祠碑を建て 欽みて愈いよ
            憐れむ
別墅倚窓明月夜  別墅 窓に倚る 明月の夜
女神來誘白雲邊  女神来たり誘はん 白雲の辺
 「神谷別荘秋月」は神谷伝兵衛の旧別荘。神谷伝兵衛は日本のワイン王とも言われ、浅草「神谷バー」の創始者。その「電気ブラン」は知る人ぞ知るアルコール飲料。別荘は、正面一階に五連のアーチを連ねたアーケード式の瀟洒な洋館。稲毛はかつて保養地として多くの洋館があったというが、今日ではこの神谷別荘が唯一残る洋館である。この日は改修工事中で中は見学できなかった。隣接する千葉市民ギャラリーで絵画展を見た。
別荘は海蝕崖の台地の上に建っている。台地の下には神谷氏が大正六年に建てた「海龍王祠」がある。祠のある場所は、古くから眼を癒す霊水が湧き出ていたという。石碑にその経緯が刻されている。広く信仰を集めていて、この日も土地の人が御参りに来ていた。そして「ここの位置に立つと松の枝が龍に見えるのよ」とその場所を教えてくれた。確かにその場所に立つと、昇り龍が見えた。
 
「白沙落雁」

 

 白沙落雁       白沙落雁
閑地不知曾白沙  閑地知らず 曽て白沙なるを
雁群休羽葦蘆斜  雁群羽を休めて葦蘆斜めならん
後還機場初成處  後還た機場初めて成る処
鴻翼旋回映夕霞  鴻翼旋回して夕霞に映ぜん
「白沙落雁」は、稲毛海岸に降り立つ雁。この「白沙」は、民間航空の先駆者奈良原三次氏が、退潮後固く締まる砂浜に着目して飛行場を作ったことで知られる。雁もびっくりである。かつての海岸は稲岸公園になっていて「民間航空発祥之地記念碑」が立っている。
 
「稲毛海岸帰帆」

 

 稲毛海岸帰帆    稲毛海岸帰帆
帰帆如何却看車  帰帆如何ん 却って車を看る
危樓移築不成虛  危楼移築して虚と成さず
威風宛似艨艟泛  威風宛も似たり 艨艟の
            泛かぶに
海上碧天雲自舒  海上の碧天 雲自ずから舒なり

 「稲毛海岸帰帆」。かつて舟泊まりだったあたりに千葉トヨペットの本社がある。社屋は旧日本勧業銀行の本店を復元、保存したもの。桃山式の純和風二階建てで、明治三十二年東京麹町区に建設され、明治四十三年一時期東京上野で開催された勧業博覧会に迎賓館として使用されたという。大正十五年京成電気軌道株式会社に売り渡され、谷津遊園楽天府、千葉市役所庁舎と移築を繰り返し、ようやくこの地に落ち着いた。屋根は建築当時の木造銅葺、躯体は鉄筋コンクリートに変わったが、正面玄関の車寄せ部分や外観の色彩などは当時の姿を模しているという。威風堂々とした建物で、見ていて飽きない。我々が記念の集合写真を撮ろうとすると、従業員の女性がわざわざ出てきてシャッターを押してくれた。流転を繰り返した建物を見、車を見ながら舟を想像するのも乙なものである。
 
「千蔵院晩鐘」

 

 千蔵院晩鐘     千蔵院晩鐘
古刹清澄無一塵  古刹清澄 一塵無く
石燈籠畔柏松新  石燈籠畔 柏松新たなり
若誰三密加持後  若し誰か三密加持の後
試打鐘聲隱隱巡  試みに打たば鐘声隠々として
             巡らん
 千蔵院は千手寺と南蔵院が明治四十二年に合併して出来たお寺。梵鐘はない。この日は庭師が入っていて、境内はこざっぱりとしていた。
 
「せんげん通り暮雪」



 
  稻毛暮雪      稲毛暮雪
下雪何時嘗擁街  下雪何れの時か嘗て街を擁す
南房北総暖初佳  南房北総 暖きこと初めより
            佳なり
冱寒尚想銀花積  冱寒 尚ほ想ふ 銀花積まば
滑走乘橇去海涯  滑走 橇に乗って海涯に去(ゆ)
            かん
 せんげん通りは京成稲毛駅から海へと到る道。かつては海水浴客でたいそう賑わっていたという。「せんげん」とは浅間神社の傍を通るので言う。
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