新春講演会  典故の用法ー李白と魚玄機を例にー     荒井 礼
 

「典故」とは、簡潔に言えば、古典に由来を持つ言葉や表現のことです。たとえば、民国時代の詩人蘇曼殊の「本事詩十首」其五に、

桃腮檀口坐吹笙 桃腮 檀口 坐して笙を吹く
春水難量旧恨盈 春水 量り難く 旧恨盈ちたり
華厳瀑布高千尺 華厳瀑布 高さ千尺
未及卿卿愛我情 未だ及ばず 卿卿 我を愛するの情に

とありますが、この詩の後半二句に見覚えのある方もいるのではないでしょうか。李白の「贈汪倫」の表現を踏まえています。これも一種の典故と言えるでしょう。このように、誰の何の詩を踏まえたのかが分かると、この詩と詩人に親しみと面白みを感じるのではないでしょうか。
典故を知っていると作品を理解するのに役立つと共に、その作品にさらなる面白みを感じられるようになります。

本発表では、典故を意識して李白魚玄機、二人の詩人の作品を鑑賞します。これによって、彼らの作品に新たな魅力を感じられるようになると思います。
 
李白の作品は「静夜思」をとりあげます

牀前看月光 牀前 月光を看る
疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと
挙頭望山月 頭を挙げて 山月を望み
低頭思故鄕 頭を低れて 故鄕を思う

『唐詩選』や『唐詩三百首』、李白の選集などによく採択されている作品ですので、日本人にも馴染み深い作品だと思います。ですが、この詩の良さを改めて具体的に説明してみようとすると、難しいのではないでしょうか。
この詩は李白が工夫を凝らして作り上げたものです。
たとえば、詩の本文には聴覚に関する言葉は用いられていません。これによって、題名の「静」字の雰囲気を演出しています
また、これは楽府(がふ)という民謡風の作品ですが、「看月光」・「望山月」、「挙頭」・「低頭」など、本来なら避けるべき同字重複や似たような言い回しを敢えてすることで、民謡らしい俗な雰囲気、作詩に不慣れな感じを出しています
こうした工夫の一つに典故があります。

それでは、李白は何の古典を踏まえているか。漢の司馬相如の「長門賦」の次の句です。

望中庭之藹藹兮 中庭の藹藹(あいあい)たるを望めば
若季秋之降霜  季秋の降霜の若(ごと)し


〔大意〕月に照らされて庭中がうっすら白んでいるのを見ると、まるで秋に降りた霜のようであった。

 大意を見て分かるように、李白の「静夜思」と共通する表現です。これは、李白が司馬相如の賦を典故として踏まえて作詩したのです。賦を見てから李白の詩を読むと、賦が十三文字を費やした表現を、その雰囲気を壊すことなくエッセンスを巧みに凝縮して、十文字で同様の表現をしていることに気づき、李白の工夫や学問の深さに改めて感動させられます。また、「長門賦」は、漢の武帝の寵愛を失った陳皇后が自らの思いを代弁させるため、司馬相如に作らせたものです。つまり、元となった典故は女性の視点で描かれたものなのです。これを知っていると、李白詩の解釈が新たな広がりを見せます。一般的に「静夜思」は李白の旅の寂しさを詠じたものと解釈されますが、典故を踏まえるなら、孤独な女性の悲しみを詠じた歌とも解釈できるのです。ただ、この説を主張するには第四句の「故鄕を思う」をどのように解釈するかが問題になってきますが、これを考えるのもまた学問の楽しみです。
 
右に見たように、「静夜思」には典故が用いられていたわけですが、李白のすごいところは、それを感じさせないこと、典故を知らなくても読んで味わうことができることです。清代の詩人王漁洋は、典故はそれを踏まえていると感じさせないことが優れた用法なのだと言います(「作詩用事、以不露痕跡為高」、『池北偶談』巻十二)。李白のこの詩はそのお手本と言えそうです。
 
次に魚玄機の詩を鑑賞します。
魚玄機は唐末の女性詩人で、長安の妓楼で育ちました。李憶という貴族の妾になりましたが、旅の途中で棄てられ、再び長安に戻ってきて女道士になります。詩がうまい女性でしたから、温庭筠など有名な詩人たちとも交流がありました。後、恋人を侍女に奪われたと誤解した魚玄機は、侍女を拷問して殺してしまいます。この殺人事件が発覚して彼女は二十七才の若さで処刑されました。
彼女のこうした背景を踏まえて、次の詩を見てみましょう。

 「次韻西隣新居兼乞酒(次韻、西隣に新たに居し、兼ねて酒を乞う)」です。

一首詩来百度吟 一首の詩来たりて 百度吟ず
新情字字又声金 新情 字字 又た声金なり
西看已有登垣意 西のかた看れば已に登垣の意有り
遠望能無化石心 遠く望みて能く化石の心無し
河漢期賖空極目 河漢の期は賖(とお)くして空しく目を極め
瀟湘夢断罷調琴 瀟湘の夢は断ちて 琴を調(しら)ぶるを罷む
況逢寒節添郷思 況んや寒節に逢いて郷思を添うるをや
叔夜佳醪莫独斟 叔夜 佳醪(かろう) 独り斟むこと莫かれ

 題名の「次韻」は、和詩の一種です。相手の詩と同じ韻字を使い、且つ、同じ箇所で押韻します。題名から、本文中の「一首の詩来たる」とは、相手から送られた詩のことだと分かります。「新情」は、新しく湧いてくる恋心のことです。恐らくラブレターのような詩をもらったのでしょう。魚玄機のこの詩には、多くの典故が用いられています

「西看・・・登垣意」は、美男子を慕う心。戦国時代・宋玉の「登徒子好色賦」が出典。
「遠望・・・化石心」は、夫の帰りを待ち望む心。山上で出征した夫の帰りを待ち、終に石になってしまったという六朝時代の小説『幽明録』に収録された故事が出典。
「河漢期」は、牽牛と織女が七夕に逢う約束。遠く引き離された夫婦のことを言います。一般に習俗化した伝説であるが、表現上の元をたどれば、漢代の「古詩十九首」其十(迢迢牽牛星、皎皎河漢女)を出典として見ることができます。
「瀟湘・・・調琴」は、舜とその二人の妃の故事が出典。二人の妃は、舜の死後、後を追って湘水に身を投じて自死しました。琴に関しては、舜が五絃琴を作ったことに由来します。
「叔夜」は、晋代の詩人嵆康のことです。竹林の七賢に数えられる彼は琴の名手でもありました。
 
以上の典故と魚玄機の経歴を踏まえて、この詩を解釈してみましょう。

〔大意〕隣に住む男性から頂戴した詩を読むにつけ、新たな恋心が芽生えてくる。西隣を見てください。あなたを慕う娘がいます。遠くに去って行った夫の帰りを待っていましたが、もうそのような心は全くありません。牽牛と織女の夫婦のように逢えるのも何時のことになるやら、これまでただ夫の方を甲斐無く眺めるだけでした。かつて夫婦で過ごした甘い夢は破れて、今や誰のために琴を奏でたら良いのか。(独り身で寂しい我が身)ましてや秋の季節に、郷里が思い出されてはなおのこと寂しさが募ります。お隣の嵆康さま、どうかその旨酒を独りで飲むことなどなさらないでください(どうかわたしとご一緒してください)。

魚玄機は典故の持つイメージを生かして隣の男性に対し、積極的に自分の思いをアピールしています。
ただ、欠点もあります。それは、典故を知らないと詩の内容を十全に理解できないことです。
李白の詩が典故を知らなくても十分に鑑賞に堪えうるのとは異なります。この辺に典故の用法における二作品の違いがあります。

李白の「静夜思」は、典故を知らなくても作品を読むことができます。ただ、典故を知れば、作品がさらに味わい深くなる仕組みになっています。古典を生かした表現であることを知れば、ほかにまだ工夫があるのではないかと、どんどんと作品にのめり込んでいきます。こうした面白みを「興趣」と言います(※興趣は典故に限ったことではありません。斬新な表現、措辞〔言葉の並べ方・言い回し〕による工夫も含みます)。この作品における李白の典故の用法は、興趣や芸術性を重視したものと言えるでしょう。

魚玄機のこの作品は、好きな男性に自分の思いをアピールするという明確な意図を持って典故を利用しています。なので、李白の作品よりも、より実用的な用法と言えましょう。
 
今回の発表はあくまで作品鑑賞の一方法を提示したものであることを言い添えておきます。ここで紹介した解釈が絶対であるということはありません。ただ、典故などを意識することで作品解釈に新たな可能性、楽しみ方が見いだせるということを知っていただければ幸いです。少なくとも、李白がただの天才ではなく、深い学識を持ち、作詩の際には色々と推敲を加えていたであろうことが、この作品だけでも窺えたと思います。李白の魅力が一つ増えたのではないでしょうか。
 
最後に、典故を調べるうえで有用な書物を紹介しておきます

 ①細田三喜夫編『〔新装普及版〕中国故事たとえ辞典』東京堂出版
1991年、2800円〔税抜き〕。典故の意味だけでなく、出典に訓点と翻訳が付いているので便利です。用例が紹介されているものもあります。

②田松青・胡真主編『詩典新編』上海古籍出版社
2001年、18元(約1000円くらい)。典故の意味と出典、用例が引かれています。言葉が部門ごとに整理されているので、「目録」からあいまい検索が可能です。たとえば、動物に関係する言葉であれば、「動物部」を見る→地面を歩く動物であることを覚えていれば、さらに「走獣部」を見る→豹に関係していたと思い出せれば、該当ページを見る→「管中窺豹」・「隠豹」の二項目が並んでいます。

 このほかにも、中国書籍にはたくさんの典故辞典がありますので、専門店に足を運んで自分に合った本を探すのも良いと思います