第13回 梁川星巌の「浪淘集」を読む | H27年 12月3日 |
|
講師:鷲野正明 国士舘大学教授 千葉県漢詩連盟会長 | 主催:船橋漢詩会 | |
「浪淘集」 : 梁川星巌の詩集(『星巌集』戊集に収載)。天保12年(1841)3月から7月までの3ヶ月間、妻紅蘭を伴って房総の旅をした詩72首が収められている。 浪淘は、浪が洗う、の意。 | ||
平成二十七年十二月三日、第十三回研修会が開催された。 八月は十周年記念大会で研修会がなかったので、一年ぶりの「浪淘集」だった。 |
||
今回の行程 | ||
星巖と妻の張紅蘭は、平久里の加藤世美(霞石)の掬靄山房で八・九日逗留したあと、嶺岡を経て勝山へ行く。その嶺岡での作. | ||
簑 岡 緩行七十里山程 緩行七十里の山程 嵐氣乍陰還乍晴 嵐気乍ち陰り還た乍ち晴る 聴得牟牟互相荅 聴くを得たり 牟牟互に相ひ答うるを 青松林下白牛鳴 青松林下 白牛鳴く。 |
||
嶺岡は、江戸幕府直轄の牧場。綱吉の生類憐れみの令によって鷹狩りが禁止されると馬の需要も減り、次第に衰退していったが、のちに再興され、吉宗の時にはインドから白牛が輸入された。詩では、青々とした松林のもと、白牛がのんびり鳴き交わしているようすが詠われている。「青」と「白」が印象的である | ||
勝山では平井氏の家に泊まった。主人は、名は行謹、字は言信。弟と共に文芸を嗜んだ。亡父は嘗て業を太田錦城(公幹)に受け、遺書万卷、楼を築いて遺愛楼と言った。 | ||
題平井氏遺愛楼 竹素蟫紅属行餘 竹素 蟫紅(たんこう) 行余に属す 傳家有業幾曾疎 伝家業有り 幾(なん)ぞ曾て疏なる 好當燈火新凉夕 好し燈火新涼の夕べに当たって 兄弟同窗讀父書 兄弟 同窓 父の書を読む ※「竹素」は竹と白絹。竹帛。書籍をいう。 ※「蟫紅」は、本の紙魚(しみ) |
||
星巖一行は、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が上陸したとされる「龍島」を訪れ、さらに「鋸山」へと向かう。 | ||
鋸山に遊び、一覧亭・羅漢峰の諸勝を探り、遂に大静上人の房に宿り、長句四韻を賦す 流丹萬丈削芙蓉 流丹 万丈 芙蓉を削り 寺在磅? 第幾重 寺は磅(石偏+唐旁)の第幾重に在る 捲地黑風來海角 地を捲く黒風 海角より来たり 有時微雨變山容 時有りて 微雨 山容を変ず 三千世界歸孤掌 三千の世界 孤掌に帰し 五百仙人共一峰 五百の仙人 一峰を共にす 怪得殘雲挾腥氣 怪しみ得たり 残雲の腥気を挟むを 老僧夜降石潭龍 老僧夜降す 石潭の龍 |
||
鋸山は、蓮の花を削りだしたような峰で、山の奥深くに朱色の楼閣がそそり立つ。大地をまきあげて岬から暴風が吹き、小雨が降るだけで山の姿がさまざまに変わる。全世界が手のひら一つに収まり、五百の仙人が峰に一緒に集まる、と。尾聯は王維の「過香積寺」を踏まえる。 | ||
※ 千漢連では四月三十日吟行会で鋸山に登った。 |
||