座談会「漢詩づくりの面白さ」   
     
                  
                        参加者        青木智江   薄井蹊山
                                     冨樫貞華   宮崎尚堂
                  
                        司 会  千葉県漢詩連盟会長  鷲野翔堂

鷲野:皆さん今日は、千葉県漢詩連盟創立十周年を記念して「漢詩づくりの面白さ」ということで座談会をおこないます。皆さんのお手元には資料をお配りしておりますので参考にしてください。今回は「漢詩づくり」に焦点をあわせて全漢連等の大会に入選された四人の方に話しをしていただきます。先ず、配布資料にありますご自分の詩を読んでいただき、自己紹介をお願いいたします。

青木:
  一 傘        一 傘
一傘兩人相與擎  一傘 両人相与に擎げ
溫溫晩雨觸肩行  温々 晩雨 肩を触れて行く
合歡花睡迂回路  合歓の花は睡る 迂回の路
涓滴如簾珠玉淸  涓滴は簾の如く 珠玉清し
『扶桑風韻』平成二十六年四月第十一号「優秀作品」

 ※六年程前に千葉に引っ越して参りましてすぐに漢詩連盟に入らせていただきました。
  
薄井:
  雨中花       雨中の花
陰陰雲下笑聲喧  陰々たる雲下 笑声喧し
多少學童齊入門  多少の学童 斉しく門に入る
赤白靑黃傘成列  赤白青黄 傘 列を成し
雨中正好百花園  雨中正に好し 百花の園
『扶桑風韻』平成二十六年四月第十一号「優秀作品」)

 ※千漢連に入りましてぼつぼつ五年になろうかと思います
  
冨樫: 
 山中湖畔朝望    山中湖畔朝望
欲拜曉光湖水前  暁光を拝せんと欲す 湖水の前
風寛拂霧見淸漣  風は寛やかにして霧を払い 清漣見(あら)わる
蘸將富嶽眞如畫  富岳を蘸し将って真に画の如し
漸漸倒姿輝大千  漸々として倒姿 大千に輝く
『扶桑風韻』平成二十四年度大会特別十号「入選作品」)

 ※六年位役員としてお手伝いさせていただいております。

宮崎:
 隣舎紅梅       隣舎の紅梅
隣叟懷痾住杏林  隣叟 痾を懐きて杏林に住めば
風寒時節只孤斟  風寒の時節 只だ孤斟す
莫忘愛養紅梅樹  忘るる莫かれ 愛養せし紅梅の樹
平癒君歸花色深  平癒して君帰らば花色深からん
         (『扶桑風韻』平成二十六年度特別第十二号「佳作」

 ※昨年の全漢連の大会で佳作ということで賞を頂戴いたしました。審査委員長の石川先生に遅ればせながらお礼を申し上げたいと思います。有難うございました。

鷲野
さて、詩を読んでリラックスしたところで質問をしてみたいと思います。いじわる質問もあるかもしれません。
今読んでいただいたのは七言絶句、中国の古典詩ですね。形が決まっていて、中国の古典詩の規則に従わなくてはいけませんよね。言葉もまた中国の古典語、いわゆる漢語を使わなければいけないですね。平仄や押韻の規則、古典語を使い古典文法に従わないといけないというように、むずかしい規則を守って詩を作るわけですが、何でこんな難しい詩を作るのでしょうか。なぜ日本語で作る短歌や俳句ではないのですか? 

青木
漢詩の知識が全くない状態で私は石川先生の所に入門いたしました。全く分からなかったので、漢詩がこんなに難しいということも知らずに入門いたしました。始めてみて規則の煩雑さに、こんな大変なものは無いと思うようになりました。一作目の詩を作るまでに四ケ月かかりました。作ってみて、高い山をようやく登りきってやり遂げた気分になりました。石川先生は全く汚すことなく次の路を示していただいたので続けることができました。それからというものは一詩作ると、とても達成感がありました。たとえば和歌や俳句だと、スカイツリーに登って下界を見下ろすくらいの達成感だとすれば漢詩をつくる場合は富士山に登って見下ろす達成感があったので、その気持ち良さを味わいたいと思って続けております。今では石川先生・鷲野先生に「好好(ハオハオ)」と言ってもらえるのが一番の目標です。一年に一回くらい言っていただけたら嬉しいなと思っております。

鷲野
達成感が違うということですけれども。それでは短歌とか俳句をお作りになったことは?

青木

多少。

鷲野

そういう経験があって、なぜ漢詩に入ったのでしょうか。人と違うことをやってみたいと思ったのでしょうか?

青木

いいえ、漢詩は、仕事として必要があったので始めようと思ったのです。詩吟関係の会社G社で出版とかしておりますので、漢詩が解らないと全く仕事にならないので、そういう意味で習いたいと言いましたら、ある先生がら、習うんだったら日本一の先生に習いなさいと石川先生を紹介していただいて、そうしましたら仕事はそっちのけで漢詩のほうが楽しくなっております。

鷲野

仕事で漢詩に触れていたということですね、そして、短歌、俳句にも触れたことがあって、漢詩に触れてみたらすごく達成感があったということですね。スカイツリーに登るよりも、富士山に登ったような達成感があった、と。薄井さんはいかがでしょうか。

薄井

私が漢詩を始めましたのは全くの偶然で、たまたま始めたということです。会社をリタイアしてブラブラしていたところ、田舎の友人が、お前暇なら漢詩をやってみないか、と声をかけてくれました。その友人は、田舎の吟社に所属していて詩を作っていたのです。漢詩はもともと好きでいろいろなものを読んだり、気に入ったな詩がありますと日記の片隅に記録したりして楽しんでいたのですが、自分で作るものではなく、読んで楽しむものと思っていましたが、友人がやってみないかというので、それではどんなものだろうか、一回やってみようかと始めたのがきっかけでした。始めてみたらご多分にもれず、やれ平仄だ、やれ何々だといろいろうるさいルールがありまして、何でこんな面倒くさいことを始めちゃったんだと、ちょっと後悔したこともあったのですが、やっているうちに面白味というほどではなかったのですけれど、もう少しやれば何とかなるのではないかいうことで続けていましたら、だんだん自信が出来てきました。その友人に「続ければ俺よりうまくなる」とおだてられまして、それなら一緒に暫く続けてみようということで今日に到りました。確かに青木さんが言うとおり達成感といいますか、私の場合クイズをやっておりまして、クイズを完成させた時の達成感というか、達成した時の高揚した気持ちが漢詩でも味わうことができまして、漢詩もなかなかいいものだなと思いました。なぜ短歌、俳句ではなくて漢詩なのかとのいじわる質問に対しては、私は両方ともやったことはないのですが、今考えてみるとその友人が短歌の友人であったならば短歌をやっていたのではないかと思います。そういうことで誠に偶然の結果で漢詩を始めたというのが本音のところです。

鷲野

出会いが大事なのですねー。薦めてくれる人がどういうものを薦めてくれるか、漢詩を薦めてくれたというのが大きいですね。そして作ってみて最初は嫌だったということですね、皆さんそうだったようですね、でも作っていくうちに、だんだん面白くなっていくのですね。薄井さんの場合は薦められてこの道にはいって、達成感を味わうことができたということですが、冨樫さんはいかがですか。

冨樫
私はある出会いがありまして・・・、唐詩選とか古文真宝とかに興味があったのですが、そのころ桜美林大学の教授でいらした石川忠久先生のNHKのラジオ講座「漢詩を読む」という講座がありまして、先生がやさしい語り口でお話しされますので、夢中になってラジオにかじりついて聞いておりました。続けているうちに、最初は解らなかってこともだんだんと解るようになりますし、漢詩で使われている漢字をひもとくことによって、こんなにも楽しいお話になるのかなあという気持ちになりまして、どんどん漢詩に引き込まれていきました。これが私の漢詩を作る切っ掛けになりまして、それから漢詩が大好きになりました。

鷲野
短歌とか俳句は?

冨樫
読んだことはありますが、作ったことはありません。漢詩がとっても楽しくて・・・

鷲野
感性が漢詩の感性と合うのでしょうね。

冨樫
そうですね、唐詩選とか読んでいましたが、なかなかそれを繙くということが出来なかったのですね。石川先生のお話を聞いているうちにほんとうに楽しくなって、出会いの歌とか、情愛の歌とか山水の歌とかそれぞれ漢字を調べながら楽しんで、漢詩に夢中になりました。

鷲野

漢詩に興味があって、勉強したいと思っていた。石川先生のラジオ講座が背中を押してくれて、いっそう詩人のおもいが浸みこんできた、そこで又夢中になっていったということですね。出会いと、それから誰かが導いてくれる、それが大きいですよね。宮崎さんどうでしょうかね。

宮崎
わたくしは同じ定型詩の短歌や俳句は全くやったことはないので比較は出来ないのですけれど、漢字あるいはその熟語のいわば深い豊かな世界に非常に魅力を感じております。私が漢詩を始めましたのは、今冨樫さんがおっしゃった話と似ているのですが、生業に追われていた時期をリタイアする頃に、仕事に関係する人と酒席を持ちました際に趣味の話になりまして、相手の方が普段は気むずかしい方だったのですが、意外や意外漢詩が大好きな方でいらっしゃって、当時のNHKの石川先生の講座を愛聴されているとのことで、その時実は私の胸の奥のローソクにポッと火が点ったのです。それから金曜日と再放送は日曜日だったと思うのですけれど、先生の講座を一生懸命に聞くようになりまして、こういう世界があったのだと何か生き返ったような感じがいたしました。後で分かったことですが、高校時代に漢文・漢詩の授業がありまして、三年間授業を受けましたが、その時の教科書三冊だけは大事にとってありまして、今思えば、やがて、いずれはという思いがあって教科書をとっておいたのではないかと思っております。

鷲野
その当時は気づかない何かがあったのでしょうね、漢文の教科書だけ残してあったという。何か引かれるものがあった、だから漢字にも興味があったのでしょうか。四人の方のお話を聞いていますと、まず、どこかで漢文・漢詩との出会いがあったということですね。出会いが無ければそれ以降の付き合いがないわけですから。出会いがとても大事で、その時に心の琴線に触れてずっと漢詩・漢文へのおもいが埋み火のように残っていて、それが歳月を経て、宮崎さんの言葉を借りますと、心の奥にあったローソクにポッと火が点る。そして、ローソクの火を点してくれる、さらなる出会いが必要だということになります。
  さて、皆さん漢詩を作るわけですが、どういう時に詩ができますでしょうか。自然に興が湧いてくるのかそれとも課題があっていやいやながら作るのか、どうでしょうか。感動があって詩を作るわけですが、どうやって感動を得るのでしょうか。自然に湧いてくるのか、それとも課題があって無理やり感動を起こさせようとするのか、いろいろあると思うのですけれども、その辺はどうですか。まず薄井さんから

薄井
今先生がおっしゃたように自分が何かに感動したり、興が湧いて作るというのと、課題詩と二つあると思うのですが、やはり多いのは旅行に行った時に美しい風景を見たり、珍しい風物に触れたりした時などはやはり詩を作ろうと思いますね。それから身内にお祝い事があったり、あるいは悲しいことや不幸があったり、そういう場合も詩を作ってその方に贈ると、詩の巧拙は別としても非常に喜んでいただくということもあります。最初はいわゆる課題詩でこのテーマで詠めと言われてるのは実はちょっと困ったこともありまして、そんなに詠みたいテーマでもなし、特に詩興が湧かない中でどう詠もうかと苦労したこともありましたが、課題詩に取り組んでいるうちに、普段自分が目を向けないような事とか、そういう方向からの攻め方があるのかという、いわば新しい発見といいますか、そう感じることもできまして、課題詩で勉強することも捨て難いと思っております。ただ、とかく課題詩は何日までに提出しなければならないという時間的制限がありまして、あまりのんびり作れないというのが困っているところです。自分の興味に応じてあるいは感動した事に応じて作る詩と課題詩とは車の両輪のように必要なものだと考えております。

冨樫

なかなか自然には作ろうという意欲は湧いてきませんけれど、吟行会などに行ったりしますと楽しく作れますね。詩語を選ぼうといろんな参考書を見ても、なかなか良い詩語にぶつからないということが 多々ありますけれども、詩題をつけていただくことによってその方が作りやすいということが私にはあります。かえって自然に湧くということはあまり無いので、薄井さんが言われたように旅行に行ったり、何か感動した事があれは忘れないうちに作っておきたいなという考えはあります。

宮崎
お恥ずかしいことを申し上げますが、私は一応の形ができるまでに非常に時間がかかりまして、全体像をデッサンする力みたいなのが非常に脆弱でありまして、従ってこの二年くらいは意識的に課題詩を出来るだけたくさん作るようにしてきました。ところが、二年ほど経ちまして課題をこなすだけにとどまっている感がいたしまして、また詩を作っていても実感が今ひとつ薄いみたいな感じもし始めましたりして、最近は自分で課題を設定して作詩するような努力も始めたのですが、名所旧跡などは作り易いわけではありますが、しょっちゅう行っているわけではありませんので、最近は身近な事、ちょっとした感動とか情景とか思い浮かんだ事を詩に取り上げるようにしております。 
 話はそれますが、先日たまたま知ったのですが、南宋の詩人の陸游が飼い猫をテーマに詩を作っておりまして、大詩人の陸游が「猫に贈る」という題で、飼い猫を題材にして自在な詩を作っていることに驚きました。それでいいのだな、と思った次第でして。

青木
詩というのは自分の思いを述べるのが本来の詩であるとは思うのですが、まだ表現力が足りなく、自由詩とか興が湧いて詩を作るまでに到っていません。今は課題詩を中心に先生からいただいた課題を中心に作っていろいろと勉強しているというのが現状です。ただ、たまに先生達から頂いた詩題に無理やり自分が感動した詩とを繋ぎ合わせて作れる場合があって、そういう時は割とすんなりと自分の心が表現でき、先生達から褒めていただける詩が出来たりすることがあります。もっともっと勉強してそういう詩が自由に作れるようになりたいなと思っております。

鷲野
みなさん有難うございます。まあ個人によって自由詩がいい方と課題詩がいい方といらっしゃるのですね。指導する側としては、最初はやはり課題詩をやりますよね。課題も簡単に作れるものからだんだん難しいもの、そういう詩題を選ぶようにしていますので、課題詩を一生懸命にやっていくと上達が早いと思います。その間に詩心を醸成させていく。課題詩をこなしていくうちに詩語もたくさん覚えて、いろんなことが自由に詠えるようになる、というわけです。自由に作詩する場合も、どう表現してよいか分からない、詩語が見つからないということがあろうかと思います。
先ほどもありましたように自分の好きな事だけ詠っていますと偏ってしまいますから、課題詩で視野を広げるという、先ほど出たように車の両輪のように学んでいくことが大切なのでしょう。
作詩ではよく階梯という言い方がされます。階梯は階段のことですが、階段は一段一段上っていかないと上には行かれない、また一気に最上階へは行けない。作詩も同じで、課題詩をこなしながら、一方で吟行会などで興が湧いたら、それを詩にしてみるという車の両輪を回しながら、一段一段上に進むことが大切ですね。
さて、詩を作ってどうでしょうか、何か変わったことがあったでしょうか。精神的あるいは生活上でどうですか。

冨樫:そうですね、一年があっという間に過ぎていくことばかりでしたけれども、漢詩を作るようになりまして四季おりおりの楽しさを見つけるようになりましたし、花の名前も中国語では何ていうのかなあとか、季節の変わり目にたくさん詩が作れるようになりました。特に夏は難しいのですけれども、春や秋は作りやすいと思います。

鷲野
詩を作ることによって充実した毎日を送っているということですね。宮崎さんどうですか。

宮崎
春夏秋冬の四季の外に旧暦をかなり意識するようになったり、一年に二十四の節季があることで、季節のとらまえ方に関心を持つようになりました。恥ずかしいことを申し上げますが、詩作りというのは、心を潤す効果の加えて、心を救ってくれる効用があるのかなあと思っています。四十年も働いてきて、いわば古傷のようなものもあるわけで、ふと当時の苦い思いが脳裏に蘇がえってくることがあるのですが、そんな時には老骨の中のスイッチを漢詩の作詩モードに切り替えまして仕掛中の詩の続きに専念する。そうすると好きな漢詩のことですから気持ちがスパッと切替わりまして、気持ちが救われるということもあります。

鷲野

好きな漢詩作りに集中すると嫌な事を忘れてしまう、いいですね。漢詩の効用は絶大ですね。旧暦を意識するのもいいですね。それでは青木さんお願いいたします。

青木
皆さんと同じように季節の移り変わり、月の満ち欠けとかいろいろ知らないことを意識するようになりました。家の中で母親(私)が辞書をたくさん並べて勉強していると、娘たちが、主人もそうですけれど、お母さんなかなかやるね、がんばっているね、と褒めてくれたことがありました。見習わないといけないな、と時々子供にも言われるので、それも私の嬉しい一瞬です

鷲野
これが大事ですよね、お子さんに背中を見せるといいますか。それでお子さんが漢詩に興味をもっていただければなおいいですね。
 会場の皆さんも、漢詩を作っていてお子さんやお孫さん、どうでしょうか、漢詩に興味を持ったということがありますでしょうか。さて、薄井さんどうでしょうか。

薄井
三人の方と同じように四季の移り変わりに意識が強くなりました。今まで見過ごしていた花だとか、空の色だとか、雲の様子だとか、そういうものに敏感になったと言うことが出来ます。鷲野先生は「持つべきものは友と辞書」ということを常々おっしゃっておられますが、漢詩以外の面でも例えば新聞を読んでいたり、本を読んだり、ニュースなどを聞いているときなど、ちょっと解らないことがあったりすると辞書を引いたり、古語辞典をみたりして調べる癖がつきました。漢詩が与えてくれたプラスの面だと思っています。

鷲野

辞典を小まめに引くようになったと、これもいいことですね。漢詩で頭を使い、辞書を引いて指をつかい、吟行会で足を使い、「反省会」をしてお酒をいただいて、健康にはとてもいいですね、今年のキャッチフレーズは「漢詩を作って健康になろう」としましょう。「ゆったり、楽しく、すこやかに」でもいいですね。
 さて、せっかく皆さんの入賞作品が資料として配られておりますので、それに触れてみたいのですが、会心の作だったのか、どうでしょうか。入賞しましたので出来がよかったと思いますが、何を表現しようとしてどこをどう苦労したのか、或いはもう少しこうしたら良かったなあというところをご披露いただけますか。宮崎さんどうでしょうか。

宮崎:
実はこの詩は半日程度の短い時間で作ることが出来ました。内容は実際の出来事をもとに作った詩で、同じ町内で久しくお付き合いをしているご隠居さんが入院されまして、因みに、この方の庭に見事なしだれ紅梅があり、風流な花見酒なども酌み交わしたことがありまして、早く快癒されることを祈るような気持ちで机に向かいましたら、自分としては意外とスラスラと筆が走りました。だだ作後の反省でございますが、気づいていなかった事がありまして、二句目の下三字の「只孤斟」という表現が、入院したご老人なのか作者なのかという質問を受けまして、実はハッとしたわけです。自戒いたしまして、自分の詩が本当に具体的な描写になっているのか、読み手を意識して工夫してあるのか、独りよがりになっていないのかなど、出来るだけ言葉を磨くように努力していかなければというのが反省です。

鷲野
「隣叟懷痾住杏林」というのは入院していることですからね。でも、病院で酒を飲むわけはありませんから、「風寒時節只孤斟」とあれば作者だと分かると思いますよ。ただ反省にもあったように、はっきり解るようにすれば更に言うこと無し、ということでしょうか。

宮崎
実は、最初は「我孤斟」としたのです。しかし漢詩では「我」はあまり使わない方がいいと聞いたこともありまして、また、入院した老人が一杯やるということもないだろうと変更したわけです。

鷲野
自分の作品は後でまた見直ししますので、反省があったら次回に生かすということになりますね。早く病気が治って欲しいという真心が詩になった、いいですね。詩の本当のあり方を示しています。それでは青木さんにいきましょうか。

青木
苦労したというか、この詩に到るまでには三か月位かかりました。最初の二か月間は、課題が「雨」ということなので、何を詠うかというのを探すのに費やしました。島崎藤村の詩に相合い傘の詩を見つけて、これだと思いました。高校生、大学生の時の情景がふわ~と頭に浮かびまして。これを作りたいなと思いました。一番大変だったのは、雨が降っていて快適な環境ではないはずなのですが、傘の中だけは二人だけの世界で楽しい二人だけの空間になってるはずです。その情景を如何に詠おうかということにすごく時間がかかりました。万葉集とか百人一首とかいろいろなところに二人で逢うのは簾の中で逢うというのが、日本の詩にはいっぱいありまして。涓滴は簾に似ていて、涓滴の中だけは二人だけの熱い空間があるなと思い到ったことが私の一番嬉しかったところでです。四句目です。「涓滴如簾珠玉淸」。これを思いつき、表現できたとき、自分ながら感動を受けまして、ほかの句は割とトントンとできました。「合歓花」、ねむの木は江間細香の詩にあったので夏の詩にはピッタリだなと思い、二人きりで歩く時は遠廻りするだろうなとか、いろいろな空想が働いて、そこからは短い時間で出来ました。同じ経験をもう一回やってみたいなと思っています。いろいろな興が湧いて作りたい題材に出会えたら嬉しいなと思います。

鷲野
良く出来ていますよね。作るまでに三か月かかったという、あるイメージが出来てそれを何とか形にしたいという執念ですね。日本の古典の教養も必要になりますし、いろんな知識を動員して作ったということですね。もう一度経験してみたいとおっしゃったのは相合い傘で歩くというのではなく、作詩の方ですね(笑)。それでは薄井さんにいきましょうか。

薄井
私の詩も青木さんとおなじで雨という課題で作ったものです。
 雨というと、元々雨が嫌いなせいもありますが、どうしても暗いイメージがあり、どうしようかと悩んでいるうちにだんだん締切も迫って来ました。その時、たまたま起句、承句にありますように子供たちが色とりどりの傘をさしながら学校の門に入っていく光景を目にしまして、明るい雨の詩にするには丁度いいなということで飛びついて作ったのがこの詩です。最初に出来ましたのは「雨中正好百花園」でした。雨中の傘を花に見立てたという時点でこの言葉が出まして、この結句から遡っていったわけですが、どうしてもうまくいかなかったのは、転句の傘の色の表現で、多彩だとか色とりどりの表現をどう表現するか困りました。窮余の一策で、ずばり「赤白靑黃」という風に非常にこなれていない表現をいたしまして、ここを何とかしたいなと思っていましたけれど、時間もなく提出いたしました。もし時間があったとしてもうまい表現は出来なかったのではないかと今でも思っております。

鷲野
いろいろ悩みながら纏めていったということですが、悩んでいると偶然の助けがある、ということもよく経験することです。偶然ではなく、必然なのですがね。「赤白靑黃」、これはずばり言ったから良かったのですね。最後に冨樫さんいかがですか。

冨樫
私はやはり一か月はかかりました。この言葉は使ってもいいのかと考える事が多くて、たとえば最後の「漸々」ですが、これはいろいろ調べて「しだいしだいに」という意味ですので、「漸漸倒姿」に決めました。「蘸將富嶽」にも大分時間を費やしました。「蘸し将って」の表現はどうかと思ったのですが、大漢和辞典にこの蘸す(ひたす)という字がありまして、これにしようと思いました。「輝大千」というのも何かもっと大きなものを現したいという思いがありまして、三千世界に輝くという意味で、大千に輝くといたしました。苦労して作りましたので、入選は本当に嬉しかったです。

鷲野

有難うございました。一か月かかったということで、言葉をどう選ぶかという苦労されたお話をうかがいました。それぞれすぐに出来た方と三か月かかって纏めあげた方といらっしゃいますけれど、これもテーマに合わせて題材を選んで作りこんでいくということで、それなりの苦労があるわけです。最初にもありましたように、こうした苦労があるからこそ、出来たときの達成感が富士山に登ったときのようで、漢詩作りが楽しいということなのでしょう。
もっといろいろ聞きたいことがあるのですが、時間が無くなって来ましたのでそろそろ終わりにしたいと思います。今回の座談会で、漢詩作りが楽しいことが伝わりましたでしょうか。苦労が多いのですがそれだけに達成感が大きい、さらに入選となりますと益々嬉しいということで、これからも作詩を続けていってもらいたいと思います。これからはビシビシと。どんなに厳しいことを言ってももう辞めることはないと思いますからね(笑)。今日お聞きの皆様も、是非、達成感を得られるように、たくさん詩を作っていただきたいと思います。感動を得るために吟行会などにも積極的に参加いただきたく、また千葉県漢詩連盟を大いに活用していただければと思います。
本日は御静聴ありがとうございました。四人の方もどうも有難うございました  
  清水蕗山記