下 総
 第3集分を新たに追加いたしました。追加分は背景がこの薄緑色で示しております。

追加
成田山 顧問 岳堂 石川忠久 
星影神廟 翔堂 鷲野正明 ・ 鎌ヶ谷大仏 翔堂 鷲野正明  

松虫寺を尋ぬ 無有 相沢克典 ・  德願寺阿弥陀如来像 有恒 菅原 満 ・ 妙覚寺を訪ね切支丹灯籠を拝す 靜修 金子完治 ・ 千葉寺散策  聖山 菊田祥子 ・ 千葉寺  高橋秀彰 ・ 誼軒 柳田昌宏 ・ 尋千葉寺  隨貞 菅原凉子 ・ 千葉寺を訪ぬ 貞華 富樫美代子
 ・ 香取神廟を訪ぬ 井上夏央里 ・ 浦安を散策す 濤堂 小川 工 ・ 千葉城蓮池伝説 蹊山 薄井 隆 ・  鎌谷八幡神社を訪ぬ 加藤 武 ・  習志野日露戦役記念碑 春虚 木村成憲 ・ 松戸二十一世紀の森にて湧水池を看る 凰洋 小久保洋子 ・  伊能忠敬の旧宅を訪ねて感有り 八嶋溪風 ・ 星影神社 岡安千尋 ・  二和の星影神社を訪ぬ 翠竹 宮本美恵子竹 ・ 市原田園風景 溪泉 佐久間ちか代 ・ 市川万葉植物園 和風 山下和子 ・ 犬吠崎を訪ぬ 溪燕 市川恵美子 ・ 犬吠崎即事 無堂 日高廣人 ・  飯岡漁港にて感有り 耕道 椎名 廣 ・ 刀 江 如蘭 曽雌幸己枝 ・ 木下(きおろし)河岸跡 青木智江 ・ 八幡の藪知らず 溪雲 杉山正男 ・ 花見川秋英(コスモス) 尚堂 宮崎三郎 ・  野菊の墓を訪ふ 桂香 齋藤かつい ・ 矢切の津 津田峻一 ・ 矢切の渡 曉舟 長島ツタヱ ・  中山法華経寺を訪ぬ 莊石 森崎直武 ・ 手賀沼畔散策 鏃風 八尾 晃 ・ 花の時 山武郡長光寺を懐う 莵庵 今田 述 ・ 鎌谷八幡神社を訪ぬ 斎藤恭子 ・ 鎌谷大仏 洗鵞 斎藤房江 ・ 鎌ヶ谷大仏 清水直美 ・ 鎌谷大仏を尋ぬ 芳野禎文

   本土寺(あじさいでら)
                         
千葉県松戸市平賀にある、日蓮宗の本山。境内には茶室も整備され、1000本のカエデ・5000株のハナショウブ・10000株のアジサイの名所として人気を集め「あじさい寺」として親しまれている。元々日朗・日像ら日蓮門人を輩出した平賀忠晴の屋敷跡と伝えられ、後に日蓮の支援者であった千葉氏家臣曽谷教信が法華堂を建立したとされている。『平賀本土寺史要』によると、文永6年(1269年)、日蓮に帰依した蔭山土佐守が「小金の狩野の松原」の地に法華堂を建てたのが本土寺の起源という。

                          
 
本土寺賞花
黄 梅 細 雨 緑 陰 中
雲 気 沈 沈 松 戸 穹
本 土 寺 傍 遊 客 鬧
幽 庭 清 境 紫 陽 紅
  本土寺賞花  
            欣石 伊藤隼人
黄梅の細雨 緑陰の中
雲気 沈沈 松戸の穹(そら)
本土寺傍 遊客鬧(さわが)しく
幽庭 清境 紫陽(あじさい)紅なり

    
 尋本土寺紫陽花
紺 園 又 遇 紫 陽 花
競 美 姸 姸 群 色 華
雅 客 陶 然 佇 難 去
賞 心 沸 沸 興 何 涯
  本土寺を尋ね紫陽花を看る
           貞華 冨樫美代子
紺園(寺)又紫陽花に遇う
美を競い姸姸 群色華かなり
雅客 陶然 佇んで去り難し
賞心沸沸 興何ぞ涯らん

    
 愛本土寺紫陽花
紫 陽 花 笑 映 青 苔
彩 飾 姿 容 錦 繍 堆
細 雨 霽 邊 殊 有 趣
小 金 名 刹 始 粧 催
  本土寺に紫陽花を愛す
           翠竹 宮本美恵子
紫陽花笑いて 青苔に映ず
彩飾姿容 錦繍堆(うずたか)し
細雨霽辺 殊に趣有り
小金の名刹 始めて粧催

   松 蟲 寺

 
松虫寺(まつむしでら)は、千葉県印西市松虫にある真言宗豊山派の寺院。本尊は七仏薬師瑠璃光如来。建立は天平17年(745年)といわれる。寺は姫の名に因んで松虫姫寺と呼ばれ地名も松虫となりました。聖武天皇の第3皇女松虫姫(不破内親王のこととされている)が病にかかりました。ある日、下総萩原の薬師如来が姫の夢枕に立ち、「東国に下向して祈れば難病も癒ろう」とのことでした。 そこで天皇は姫を牛の背に乗せ、行基が随って下総に来ました。下総の印旛にある萩原の地に着くと、姫は草案を結び、一心不乱に祈りをささげ、ついにその病に打ち勝ったとされます。

 
   尋松蟲寺      
晩 秋 曳 杖 白 雲 鄕
古 木 蒼 蒼 覆 本 堂
 庭 院 枯 藤 魂 魄 宿  
松 蟲 花 紫 映 斜 陽

 
      松虫寺を尋ぬ
         無有 相沢克典
晩秋 杖を曳く白雲の郷
古木 蒼々 本堂を覆ふ
庭院枯藤 魂魄宿り
松虫の花紫にして斜陽に映ず

   徳願寺

徳願寺は市川市 本行徳にある。本尊の阿弥陀如来像は、鎌倉時代初め、源頼朝の妻、北条政子が霊夢を見て、仏師運慶に命じて彫らせたものと言われている。政子の念持仏といわれている。徳川の「徳」と勝願寺の「願」の二字をとり、改めて徳願寺の名が付けられた。

     
  德願寺阿彌陀如來像
 秋 光 燦 燦 本 尊 居
 黄 橘 紅 萩 庭 際 餘
 安 養 崇 源 繼 持 佛
 慈 顔 微 笑 自 如 如

 *安養院…北條政子、崇源院…徳川秀忠妻江
   德願寺阿弥陀如来像
          有恒 菅原 満
秋光燦々たり 本尊の居
黄橘 紅萩 庭際に余る
安養 崇源 持仏を継ぐ
慈顔の微笑 自ずから如々たり

 
千葉寺
 


千葉寺は、千葉市中央区にある真言宗の寺院で、市内最古の寺院。本尊は十一面観音であり、坂東三十三観音霊場第29番札所である。寺伝によれば、709年、この地を訪れた東国巡錫中の行基が十一面観音を安置したのに始まり、聖武天皇の命により千葉寺と称したという。千葉氏の居城である亥鼻城(千葉城)に近いことから千葉氏の祈願所となった。境内のイチョウは、鎌倉・鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きく、高さ約30メートル、目通り幹囲は8メートルもあります。今では千葉寺を象徴するほど、市民にとって身近で、親しみのある木になっています。

 
千葉寺散策  
 尋 來 古 刹 聽 秋 聲   
搖 落 音 微 境 内 淸 
銀 杏 千 年 今 尚 在 
奇 哉 乳 柱 萬 枝 榮
 
 
  千葉寺散策
           聖山 菊田祥子 
  尋ね来る古刹 秋声を聴く 
  揺落の音は微かにして境内清し
  銀杏千年 今尚お在り
  奇なる哉 乳柱 万枝栄ゆ

    
千葉寺      
昔 人 除 夕 似 雲 屯 
寺 畔 憎 官 作 罵 言 
今 日 誰 知 千 載 恨 
空 庭 落 葉 趁 風 翻 

   千葉寺
             高橋秀彰
  昔人 除夕 雲の似(ごと)く屯し
  寺畔 官を憎みて 罵言を作す
  今日 誰か知らん 千載の恨み
  空庭 落葉 風を趁ふて翻る

 

 
千葉寺      
雷 擊 本 尊 飛 避 屯 
困 窮 無 住 法 燈 淳 
開 基 千 歳 公 孫 樹 
反 復 榮 枯 堂 舍 新 

 
    千葉寺
              誼軒 柳田昌宏
  雷撃して本尊 飛んで屯(ちゅん)を避け
  困窮して無住なるも 法灯淳なり
  開基してより千歳 公孫樹
  栄枯を反復して 堂舎新たなり
   
尋千葉寺
名 僧 趺 坐 玉 池 潯
悟 得 眞 如 菩 薩 心
百 紀 正 知 銀 杏 樹
葉 聲 相 和 梵 鐘 深

   尋千葉寺
            隨貞 菅原凉子
 名僧趺坐す 玉池の潯
 悟り得たり 眞如 菩薩の心
 百紀正に知る 銀杏樹
 葉声相和して梵鐘深し

 
訪千葉寺 
行 行 楓 葉 映 秋 光
滿 目 競 姸 紅 與 黄
古 刹 人 稀 清 氣 溢
衝 天 銀 杏 尚 蒼 蒼
  千葉寺を訪ぬ
             貞華 富樫美代子
 行き行けば 楓葉 秋光に映じ
 満目 姸を競ふ 紅と黄と
 古刹 人稀にして清気溢れ
 天を衝く銀杏 尚ほ蒼々

   正覚山妙覚寺

正覚山妙覚寺は、中山法華経寺の末寺であり、日蓮上人の像を本尊している。また、妙覚寺は、東日本では珍しいキリシタン燈籠があるお寺。キリシタンといえば、九州のイメージがあり、「千葉の市川に何故?」と歴史好きの好奇心をくすぐるような燈籠。事実このキリシタン燈籠は房総で唯一、つまり千葉県で唯一のものだそうである。その上、キリシタン燈籠は、戦国武将で茶人として有名な古田織部が創案したとも言われている。この燈籠の竿の下の部分はマントを着たバテレンが靴を履いた姿に彫刻されているそうである。

    
  訪妙覺寺拜切支丹灯籠 
 燈 籠 靜 立 寺 宮 涯
 傚 擬 佛 家 平 穩 姿
 異 教 守 來 今 日 至
 信 徒 胸 裏 有 誰 知

  妙覚寺を訪ね切支丹灯籠を拝す
           靜修 金子完治
灯籠静かに立つ 寺宮の涯
仏家に傚擬す 平穏なる姿
異教を守り来って 今日に至る
信徒の胸裏 誰有ってか知らん


   香取神宮

香取市香取にある神社.
関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。
古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。中国唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が国宝に指定されている。建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の重要文化財に指定されており、その他にも多くの文化財を現代に伝えている。

   
   訪香取神廟   
曲 徑 登 行 料 峭 天
靜 心 合 掌 廟 堂 前
夜 來 春 雪 皚 皚 白
牆 角 疎 梅 紅 更 妍

 香取神廟を訪ぬ
        井上夏央里
曲径登り行く 料峭の天
心を静め掌を合わす 廟堂の前
夜来の春雪 皚々として白く
牆角の疎梅 紅(くれない)更に妍たり

   浦安

浦安は昔、三方を海と川に囲まれた「陸の孤島」と呼ばれた漁業の町だった。しかし、昭和37年の漁業権の一部放棄、そして昭和46年の漁業権全面放棄を契機に海面埋立事業が進められ、面積が4倍に拡大した。
そして、大規模住宅開発が進められ、営団地下鉄東西線が開通、首都高速湾岸線の浦安・新木場間の開通、JR京葉線が開通するなど、都心にわずか10数分という地の利も得て、人口が急増した。それに伴い、さまざまな都市基盤が整備され、まちは大きく変ぼうを遂げた。

   
 散策浦安
樂 園 遙 望 海 風 涼
若 入 遊 觀 如 夢 香
尚 有 漁 家 船 大 小
雲 流 新 舊 映 斜 陽

 浦安を散策す 
          濤堂 小川 工
楽園 遥かに望めば海風涼し
若し入りて遊観すれば夢の如く香しからん
尚有り 漁家 船の大小
雲流れ 新旧 斜陽に映ず

   千葉城

亥鼻城(通称は千葉城)は、平安時代に千葉常重が千葉県千葉市中央区に居館を構えた城。
1516年(永正13年)に落城。その後、江戸時代(幕末)には千葉八景「猪鼻山の望月」に選定されており、古くから名所・旧跡として親しまれていた。
周辺は亥鼻公園(歴史公園)として整備され、土塁、堀切などが現存する城跡は、千葉大学亥鼻キャンパス(外郭)を含む広大な領域が城跡であり、地名をとって「亥鼻城跡」と呼ばれている。土塁や空堀が遺構として残されている。また主郭部の突端にかつての物見台跡の神明社がある。二の郭跡に郷土博物館と千葉常胤像が建つ。

    

  千葉城蓮池傳説
城 邊 尋 到 老 松 碑
千 葉 由 來 始 得 知
傳 説 蓮 花 何 處 發
遙 懷 往 古 夕 陽 垂



 千葉城蓮池伝説 
           蹊山 薄井 隆
城辺尋ね到る 老松の碑
千葉の由来 始めて知るを得たり
伝説の蓮花 何れの処にか発く
遥かに往古を懐へば 夕陽垂る
   鎌ヶ谷八幡神社

千葉県鎌ケ谷市鎌ケ谷にある神社。地名から、鎌ヶ谷八幡神社、鎌ヶ谷八幡宮とも称される。旧社格は村社。境内の由緒書によると勧請の理由について、鎌倉政権による八幡信仰の広がりによるものであろうと考察されている。

 
訪鎌谷八幡神社
上 階 淸 氣 滿 閑 庭
大 樹 森 然 社 稷 寧
歩 歩 驚 看 根 幹 拗
方 知 萬 葉 尚 靑 靑

 
   鎌谷八幡神社を訪ぬ
           加藤 武
階を上れば清気閑庭に満ち
大樹森然として社稷寧らかなり
歩々驚き看る 根幹の拗(ねじ)るるを
方に知る 万葉 尚お青々たるを

   習志野日露戦役記念碑

今から100年前、日露戦争1904年~5年のため、多くの兵士が大陸の戦場へとむかった。習志野市域からもおよそ180名ほどの兵士が出征し、中には命を落とした者もいた。その手がかりとなるものに、市内に残された日露戦争を記念した石碑(忠魂碑)がる。

        
   習志野日露戰役記念碑
  毎 過 暗 涙 濕 胸 垂
  荒 草 萋 萋 少 世 知
  殉 國 渡 瀛 人 馬 恨
  勿 忘 總 是 太 平 基

   習志野日露戦役記念碑
             春虚 木村成憲
過ぐる毎に暗涙 胸を湿して垂る
荒草 萋々 世の知ること少なり 
国に殉じ瀛(うみ)を渡る 人馬の恨み
忘るる勿れ 総べて是れ 太平の基なるを


   松戸21世紀の森

21世紀の森と広場は広さが東京ドーム11個分(50.5ヘクタール)もある大きな公園。緑豊かな園内は山、林、池、田園など様々な自然に触れ合うことができる環境となっている。 千駄堀池は3つの谷津が集まって出来ている人工の池で、広さは東京ドーム約1個分(5ヘクタール)の大きさがあり、湧水量は1日で約1,000トンもある雄大な池。

 
 松戸二十一世紀森看湧水池 
碧 空 一 望 百 花 隅
湧 水 渾 渾 風 趣 殊
跣 足 童 兒 飛 水 沫
笑 聲 滿 處 又 搖 蘆

 
  松戸二十一世紀の森にて湧水池を看る
          凰洋 小久保洋子
碧空一望 百花の隅
湧水渾々 風趣殊なり
跣足の童児水沫を飛ばし
笑声満つる処 又芦を揺らす


   伊能忠敬旧宅 

伊能忠敬(1745-1818)が17歳から50歳まで30年余りを過ごした家で、国の史跡に指定されている。
醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗のほか、炊事場、書院、土蔵が残っている。小野川に面した旧宅の正面には「だし」と呼ばれる荷揚げ場があり、今は観光船の乗り場になっている。また、小野川をはさんで建つ「伊能忠敬記念館」との間には、樋橋(通称:じゃあじゃあ橋)がかかっている。樋橋から流れ落ちる水の音は「残したい”日本の音風景100選”」にも選定されている。

        
       訪伊能忠敬舊宅有感
    東 河 雄 志 客 天 涯
    器 量 神 州 千 里 規
    欸 乃 一 聲 尋 舊 賑
    慕 情 忽 向 海 洋 馳

   伊能忠敬の旧宅を訪ねて感有り 
              八嶋溪風
東河の雄志 天涯に客たり
器量は 神州千里を規(はか)る
欸乃一声 旧賑を尋ぬれば
慕情 忽ち海洋に向かって馳す


   星影神社

星影神社(ほしかげじんじゃ)は、千葉県船橋市二和西にある神社。もともとは江戸幕府が所管する小金牧という牧が置かれていた。明治に入り開拓されこの神社の周辺は二番目に開拓が始まったことから「二和」と称され、この神社は二和の鎮守として明治3年に稲荷神を祭ったことに始まる。星影という社名については、この地の開拓を担当した星野氏に由来するという。

     
星影神廟    
深 林 開 墾 困 難 多
雨 與 汗 珠 霑 短 蓑
晩 霽 仰 天 伸 脚 臥
煌 煌 泛 涙 轉 銀 河
 
   星影神廟
         翔堂 鷲野正明
深林の開墾 困難多し
雨は汗珠と与に短蓑を霑す
晩霽 天を仰ぎ脚を伸して臥せば
煌々 涙を泛べて銀河転ず

   
星影神社
武 士 移 來 下 總 原
多 難 開 墾 盡 爲 村
安 寧 祈 願 小 神 廟
星 影 煌 煌 綠 樹 繁

  星影神社
         岡安千尋
武士移り来る 下総の原
多難の開墾 尽く村と為る
安寧祈願す 小神廟
星影 煌々として 緑樹繁からん

         
  訪二和星影神社   
枯 枝 大 樹 掩 東 籬
獨 建 百 年 開 墾 碑
始 識 黎 民 辛 苦 事
星 垂 平 野 又 多 悲

 
    二和の星影神社を訪ぬ 
           翠竹 宮本美恵子竹
枯枝 大樹 東籬を掩い
独り建つ 百年 開墾の碑
始めて識る 黎民 辛苦の事
星垂るる平野 又悲しみ多からん

   市原田園風景

市原市は南北に36キロメートルと長く、市南部は尾根が標高100から200メートルの丘陵地、市北部は標高20から100メートル程度の台地、養老川下流には標高10メートル程度の低地が広がっている。また、丘陵地や台地の谷には川が流れ、渓谷や谷津と呼ばれる地形が見られる。観光振興ビジョンでは、市の南部に広がる美しい里山と、そこで培われた歴史や文化、市を縦断する小湊鉄道などの地域資源、更には圏央道と東京湾アクアラインにより成田空港と羽田空港の中間に位置する地理的優位性を活かしたいちはらの魅力を一人でも多くの人に感じてもらう観光まちづくりを進めている。
 
 市原田園風景
成 田 甚 近 市 原 鄕
木 筆 花 開 農 事 忙
止 手 仰 看 轟 輵 所
去 來 機 影 戰 新 秧
 
市原田園風景
             溪泉 佐久間ちか代
成田甚だ近し 市原の郷
木筆花開いて 農事忙し
手を止め仰ぎ看る轟輵の所
去来する機影に新秧戦(そよ)ぐ 

   市川万葉植物園

大野緑地内の平坦部に和風庭園を設け、万葉集に詠まれている植物を集め和歌とともに展示しています。
園内にはせせらぎ・池・東屋・藤棚・石灯篭・つくばい等が配置されています。

 
   市川萬葉植物園
吟 杖 相 携 看 石 碑
草 花 百 樹 藥 園 基
巡 尋 古 代 蓮 華 美
粲 粲 陽 光 照 碧 池
  市川万葉植物園
            和風 山下和子
吟杖 相携へ 石碑を看る
草花百樹は薬園の基
巡りて古代蓮華の美を尋ぬれば
燦々たる陽光 碧池を照らす


   犬吠埼・銚子

関東平野の最東端、太平洋に突出する岬。日本国内で、憭て知られている。銚子市の利根川の河口に近くにある。沿岸には遊歩道が設けられており、北側には日本の渚百選にも選ばれた君ヶ浜(君ヶ浜しおさい公園)がありる.
 
訪犬吠崎   
一 日 房 州 海 角 遊 
夕 陽 忽 照 我 兼 舟  
燈 臺 空 立 枯 草 裏  
赤 卒 流 風 自 入 秋 
   犬吠崎を訪ぬ
            溪燕 市川恵美子
 一日 房州 海角に遊ぶ
 夕陽忽ち照らす 我と舟と
 燈台空しく立つ枯草の裏
 赤卒風に流れて自ずから秋に入る


    
犬吠崎卽事 
房 總 東 端 潮 氣 香
海 風 可 愛 弄 秋 光
滔 滔 刀 水 下 雲 外
正 看 奔 流 注 大 洋 
  犬吠崎即事
            無堂 日高廣人
総の東端 潮気香し
海風愛すべし 秋光を弄するを
滔々たる刀水 雲外より下り
正に看る 奔流 大洋に注ぐを

 
  犬吠埼偶成
櫓 声 汨 汨 去 来 舟
岩 散 波 濤 岸 壁 頭
犬 吠 灯 台 照 航 路
眺 望 万 里 太 平 洋
 犬吠埼偶成
       祐城 飯塚 勇
櫓声汨汨 去来の舟
岩に散る波濤 岸壁の頭
犬吠の灯台 航路を照し
眺望万里 太平洋


   
登犬吠埼灯台
灯 台 下 総 最 東 端
千 里 光 芒 航 路 安
百 卅 星 霜 突 天 外
巓 邊 俯 瞰 水 漫 漫
 犬吠埼灯台に登る
        州風 小澤克己
灯台は下総の最東端
千里の光芒 航路安らかなり
百卅(そう:三十)の星霜 天外を突き
巓辺俯瞰すれば 水漫々たり

   
遊犬吠埼   
水 天 相 接 碧 茫 茫
四 月 潮 風 疎 髪 颺
海 角 灯 台 挿 蒼 昊
青 松 粉 璧 映 斜 陽
  犬吠埼に遊ぶ
       静修 金子完治
水天相接し 碧 茫茫
四月の潮風に疎髪颺る
海角の灯台 蒼昊に挿み
青松粉璧 斜陽に映ず

    
登犬吠埼灯台
白 堊 灯 台 挿 碧 天
百 年 光 導 往 来 船
凝 眸 楼 上 美 洲 岸
澎 湃 濤 雷 万 里 旋
 犬吠埼灯台に登る
       貫道 窪寺 啓
白堊の灯台 碧天の挿しはさみ
百年光は導く 往来の船
眸をを凝らす楼上 美洲の岸
澎湃たる濤雷 万里旋る

    
春日遊犬吠埼
百 里 郊 行 遊 犬 吠
懸 崖 飛 沫 響 波 濤
蒼 茫 四 海 濛 濛 雨
霧 笛 灯 台 覚 欝 陶
  春日犬吠埼に遊ぶ
       恭泉 齋藤恭子
百里の郊行 犬吠に遊ぶ
懸崖の飛沫 波濤響く
蒼茫たる四海 濛々の雨
霧笛の灯台覚欝を覚ゆ陶



 
 
  犬吠埼望海  
海 濤 三 万 里   
蒼 茫 接 天 流    
我 愛 扶 桑 国   
日 東 巡 八 州   
  犬吠埼望海
       宝春 菅谷 治
海濤 三万里
蒼茫として天に接して流る
我は愛す 扶桑の国
日東 八州を巡る



 
 
尋犬吠埼灯台
攀 尋 犬 吠 日 東 端
白 堊 灯 台 方 荘 観
波 浪 纏 礁 蒼 海 裏
小 閑 感 嘆 地 天 寛
  犬吠埼灯台を尋ぬ
       鶴陵 田中國弘
攀尋す犬吠 日東の端
白堊の灯台 方に荘観たり
波浪 纏礁 蒼海の裏(うち)
小閑 感嘆す 地天の寛きを


 
 
 犬吠埼吟行会
碧 海 春 霞 煙 渺 茫
中 天 犬 吠 燿 陽 光
雅 兄 一 路 相 携 集
立 尽 灯 台 照 大 洋
  犬吠埼吟行会
       林 和夫
碧海 春霞 煙渺茫
中天 犬吠 陽光に燿く
雅兄一路 相携えて集う
立ち尽くす灯台 大洋を照らす


 
 
海日遊犬吠埼
滔 滔 千 載 太 平 洋
無 限 濤 声 育 命 郷
祝 日 朝 来 迎 海 祭
外 川 民 客 午 餐 忙
   海の日犬吠埼に遊ぶ
       志風 宮野徹志
滔滔 千載 太平洋
無限の濤声 命を育くむ郷
祝日 朝来 海祭を迎う
外川の民客 午餐忙し


 
立犬吠埼   
瀾 狂 風 吼 断 崖 辺
唯 看 蒼 茫 水 与 天
此 裡 方 知 人 矮 小
積 憂 忽 散 意 恢 然
   犬吠埼に立つ
       蘭裕 山崎友里江
瀾は狂い風は吼ゆ断崖の辺
唯看る蒼茫 水と天と
此の裡 方に知る 人の矮小なるを
積憂 忽ち散じ 意は恢然

   
君浜惜春   
千 里 春 潮 奏 瑟 琶
清 和 汀 渚 抱 松 林
行 人 旅 恨 誰 能 解
残 夢 香 雲 未 去 心
 君浜惜春
        岩山幸代
千里の春潮 瑟琶を奏でる
清和の汀渚 松林を抱く
行人の旅恨 誰か能く解す
残夢の香雲 未だ心を去らず

    君浜惜春甲申春日
        方風舎吟行歩君浜海岸

君 浜 海 岸 碧 空 鮮
犬 吠 灯 台 鯉 幟 翩
方 舎 吟 行 懇 親 楽
潮 香 漾 処 気 如 仙
  君浜惜春甲申春日方風舎吟行 君ヶ浜海岸を歩す
       成風 平井敏雄
君ヶ浜海岸 碧空鮮かなり
犬吠の灯台 鯉幟翩える
方舎の吟行 懇親の楽しみ
潮香漾う処 気仙の如し

   
  庚辰初冬遊銚子
迎 得 杖 朝 携 北 堂
同 遊 銚 子 楽 観 光
更 期 百 歳 加 齢 夢
孝 養 初 冬 客 思 長
 庚辰初冬 銚子に遊ぶ
     山武郡 神植 植草 進
杖朝を迎え得たる北堂を携う
同に銚子に遊び 観光を楽しむ
更に期す百歳 加齢の夢
孝養 初冬 客思長し

   
 銚子吟行即事
刀 水 溶 溶 注 大 瀛
青 松 汀 渚 白 雲 軽
仙 風 道 骨 相 携 集
万 里 浪 頭 対 旅 情
  銚子吟行即事
         高木 進
刀水 溶溶として 大瀛に注ぐ
青松 汀渚 白雲軽し
仙風 道骨 相携えて集う
万里の浪頭 旅情に対す

   
 銚港慕情   
銚 津 煙 景 繞 花 行
百 紫 千 紅 万 感 生
如 雪 鬢 毛 君 莫 笑
漁 歌 互 答 夢 方 清
  銚港慕情
        畠山彦英
銚津煙景 花を繞りて行く
百紫千紅 万感生ず
雪の如き鬢毛 君笑うこと莫れ
漁歌互いに答え 夢方に清し

 
憶房総吟行 
陽 春 花 発 一 天 晴
携 友 清 游 和 悦 盈
銚 港 潮 風 千 里 渡
渺 茫 大 海 促 詩 情
 
  房総吟行を憶う
       雲仙 原木 理
陽春花発き 一天晴る
友を携え清游し 和悦盈つ
銚港の潮風 千里渡る
渺茫たる大海 詩情を促す
 

 
 犬吠埼吟行  
雨 餘 行 楽 総 州 邊
徐 到 清 風 歌 又 旋
犬 吠 奇 岩 探 勝 遍
潮 來 浩 渺 水 連 天
   犬吠埼吟行
       耕浪 菅野倶之
雨余 行楽す 総州の辺
徐に到る清風に歌い又た旋る
犬吠の奇岩 探勝遍く
 潮來 浩渺として 水 天に連なる

   飯岡漁港

飯岡漁港は東部に両総台地の東縁にあたる丘陵・台地が分布し、西部に九十九里平野北端の平地がひらけている。漁港東側の海岸線には屏風ヶ浦と呼ばれる海食崖があり、高さ40~50mの断崖が約10kmにわたって連なっている。対照的に漁港の西側は、刑部岬を境として九十九里の砂浜域となっている

   
 飯岡漁港有感
群 鰮 萬 里 弄 澄 波
一 洗 消 鮏 甘 旨 多
膾 炙 與 烹 天 下 甲
嘉 肴 傾 盞 醉 漁 歌

   飯岡漁港にて感有り
           耕道 椎名 廣
群鰮万里 澄波を弄す
一洗鮏を消し 甘旨多し
膾炙と烹と天下の甲
嘉肴 盞を傾けて漁歌に酔はん


   利根川

利根川は、群馬県の大水上山に源を発し、幾つもの川と合流したり、分派 したりしたのち千葉県銚子市で太平洋に注ぐ大河川です。幹川の流路延長は322kmあり、水源から河口までの支川を含めた流路延長は約6,700kmになります。流域は東京都、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、埼玉県の1都5県にまたがり、流域面積は16,840km2におよび我が国最大の河川です。

 
刀 江   
浩 然 刀 水 夕 陽 流
楊 柳 將 枯 古 渡 頭
裊 裊 翻 風 秋 寂 寂
孤 舟 過 處 月 光 幽
  刀 江
        如蘭 曽雌幸己枝
浩然たる刀水 夕陽流る
楊柳 将に枯れんとす 古渡の頭
裊々 風に翻り 秋寂々 
孤舟過ぐる処 月光幽かなり

   
 木下河岸跡    
浩 浩 刀 江 一 望 平   
寒 風 颯 颯 白 波 淸   
昔 因 水 運 船 來 往   
今 只 絲 禽 枯 草 鳴   
 

   木下(きおろし)河岸跡
               青木智江
浩々たる刀江  一望平らかに
寒風颯々  白波清し 
昔 水運に因って船来往するも
今は只 糸禽  枯草に鳴く
    
詠利根川  
北 雁 東 風 春 韻 郷
畦 花 岸 柳 客 心 康
為 君 今 古 号 刀 水
平 遠 一 条 頒 総 常
 利根川を詠む
       蕗山 清水義孝
北雁東風 春韻の郷
畦花岸柳 客心康たり
君が為 今古 刀水と号す
平遠一条 総常を頒つ


 

 利根川原春望
雨 余 満 目 弄 春 華
刀 水 長 堤 帯 晩 霞
紅 甲 緑 芽 萌 大 地
蝶 蜂 乱 舞 荐 愉 花
  利根川原の春望
       鏃風 矢尾 晃
雨余 満目 春華を弄す
刀水の長堤 晩霞を帯ぶ
紅甲緑芽 大地に萌ゆ
蝶蜂乱舞 荐りに花を愉しむ

   
利根川晩景 
落 日 長 堤 暮 藹 哀
松 風 謖 謖 晩 涼 催
水 光 瀲 灔 漁 歌 起
一 片 歸 帆 帯 月 來
  利根川晩景
       土屋明美
落日 長堤 暮藹哀し
松風謖謖 晩涼催す
水光瀲灔 漁歌起こり
一片の帰帆 月を帯びて來たる


   
    利根川河口堰垂釣翁
遁 世 何 爲 河 岸 邊
一 竿 風 月 絶 塵 縁
君 看 漁 叟 亦 銅 色
占 得 蘆 花 白 水 川
  利根川河口堰 垂釣の翁
       柏熊啓子
世を遁れて 何をか為す 河岸の辺
一竿の風月 塵縁を絶つ
君看よ 漁叟 亦銅の色
占め得たり 蘆花 白水の川


   八幡の藪知らず

八幡の藪しらずは、千葉県市川市八幡にある森の通称。古くから「禁足地」とされており、「足を踏み入れると二度と出てこられなくなる」という神隠しの伝承とともに有名である。市川市が設けた解説板には「不知八幡森(しらずやわたのもり)」と記されており、ほかに「不知森(しらずもり)」「不知藪(しらずやぶ)」とも称される。現在は不知森神社(しらずもりじんじゃ)の一角のみ立ち入りができる。

 
 八幡藪不知
古 祠 華 表 又 荒 垣
民 衆 信 崇 微 有 痕
一 入 不 能 生 再 出
傅 承 篁 竹 映 眸 繁

  八幡の藪知らず
         溪雲 杉山正男
古祠 華表 又た荒垣
民衆の信崇 微かに痕有り
一たび入れば生きて再び出づる能はず
伝承の篁竹 眸に映じて繁し

   成田山

「成田のお不動さま」の愛称で親しまれている成田山新勝寺は、真言宗智山派の大本山です。千年以上の歴史をもつ全国有数の霊場で、成田を代表する観光地であり、正月3が日には約3百万人、年間約一千万人以上の参拝客が訪れます。

   
成 田 山
高 刹 總 州 地
千 年 度 衆 生
山 門 通 鬧 市
寶 閣 仰 飛 甍
煩 惱 滌 香 國
淨 心 悦 化 城
逍 遙 落 花 下
不 覺 一 身 輕
   成田山
       顧問 岳堂 石川忠久
  高刹 総州の地
  千年 衆生を度す
  山門 閙市に通じ
  宝閣 飛甍を仰ぐ
  煩悩 香国に滌ぎ
  浄心 化城を悦ぶ
  逍遥す 落花の下
  覚えずして 一身軽し


   
早春成田山  
吟 行 三 里 路   
山 寺 看 梅 花   
風 冷 春 猶 浅   
鶯 声 未 足 誇   
 早春成田山
       耕道 椎名 廣 
吟行す 三里の路
山寺に梅花を看る
風は冷ややかにして 春猶お浅く
鶯声 未だ誇るに足らず


 
   初夏遊成田山公園
白 挂 雄 飛 幽 碧 奔
入 池 鱗 羽 放 生 恩
留 筇 坐 愛 差 差 緑
浅 黛 濃 陰 世 所 尊
  初夏成田山公園に遊ぶ
        有恒 菅原 満
白挂雄飛す 幽碧を奔り
池に入る 鱗羽 放生(ほうじょう)の恩
筇を留め坐(そぞろ)に愛す 差差(しし)の緑
浅黛濃陰 世の尊ぶ所


 
 夏日訪成田山
寺 園 砌 径 静 如 禅
聳 立 山 門 幾 百 年
入 耳 溪 声 風 籟 裡
悠 悠 敲 句 忘 塵 縁
  夏日成田山公園を訪う
         春水 椎名めぐみ
寺園の砌径 静かなること禅の如く
聳え立つ山門 幾百年
耳に入る溪声 風籟の裡
悠悠句を敲き 塵縁を忘る

   
     観紅葉成田山新勝寺
香 煙 如 篆 満 堂 前
水 出 香 城 入 野 泉
映 浪 錦 楓 方 似 画
鴛 鴦 冬 羽 更 争 姸
 観紅葉成田山新勝寺
        随貞 菅原凉子
香煙篆の如く 堂前に満つ
水は香城より出て 野泉に入る
浪に映ず錦楓 方に画に似たり
鴛鴦の冬羽 更に姸を争う


   
 成田山新勝寺
雲 白 微 風 迎 豔 陽
梅 花 鶯 語 滿 山 芳
喫 茶 獨 坐 碧 空 噪
忽 過 飛 機 已 斷 腸
 成田山新勝寺
       緑風 関根 緑
雲は白く 微風 豔陽を迎え
梅花鶯語 満山芳し
茶を喫し 独り坐せば 碧空噪し
忽ち過ぐ 飛機に已断腸


   
  看成田山新勝寺繁華有感
萬 人 似 海 客 如 山
從 古 繁 榮 曾 未 閒
正 是 浮 圖 常 不 動
財 神 亦 在 佛 堂 間
  看成田山新勝寺繁華有感
       肆穗 荒井 禮
万人は海に似て 客は山の如し
古え從り繁榮して 曾て未だ閒ならず
正に是れ浮図 常に動かずして
財神も亦た仏堂の間に在り


   花見川

花見川区は、千葉県千葉市を構成する行政区の一つ。花見川千本桜緑地や花見川サイクリングロードなど花見川周辺は桜の名所となっている大規模な住宅造成地区。

   
花見川秋英 
澹 淡 淸 川 秋 塢 遙
亂 紅 掩 徑 萬 莖 喬
佳 人 忽 過 宛 如 笑
回 首 依 依 花 影 搖 
   花見川秋英(コスモス)
         尚堂 宮崎三郎
澹淡たる清川 秋塢遥かなり
乱紅 径を掩ひ 万茎喬し
佳人忽ち過ぎ 宛も笑ふが如し
首を回らせば 依々として花影揺らぐ


君待橋

治承4年(1180)千葉常胤(つねたね)一族が源頼朝を橋のたもとに出迎えた。
頼朝がこの橋の名を尋ねると、六男東胤頼(とうのたねより)が答えた歌
 見えかくれ八重の潮路を待つ橋や
  渡りもあえず帰る舟人
     
頼朝公君待橋
頼 朝 伝 説 県 庁 郷
戦 捷 検 分 聲 望 揚
茶 啜 直 盟 千 葉 族
武 家 権 勢 将 軍 強
 頼朝公君待橋
        渓燕 市川恵美子
頼朝伝説 県庁の郷
戦捷検分して 声望揚る
茶啜り 直ちに盟す 千葉の族
武家の権勢 将軍強し


   野菊の墓

この作品の舞台となったのは、千葉県松戸市矢切付近であり、同地区には伊藤左千夫の門人である土屋文明の筆になる野菊の墓文学碑が1965年5月に完成した。また、矢切の渡しは、政夫と民子の最後の別れの場となった所である。

   
訪野菊墓  
獨 坐 扁 舟 江 水 頭
遠 懷 相 愛 兩 人 遊
石 碑 空 建 約 逢 所
叢 菊 香 牽 萬 古 愁
  野菊の墓を訪ふ
          桂香 齋藤かつい
独り坐す 扁舟 江水の頭
遠く懐ふ 相愛 両人の遊
石碑 空しく建つ 逢ふを約する所
叢菊の香は牽く 万古の愁

   江戸川

江戸川は、茨城県猿島郡五霞町と千葉県野田市の境界付近にある関宿分基点で利根川と分かれ、千葉県と埼玉県、東京都の境を南に流れ、千葉県市川市付近で本流である江戸川と旧流路である旧江戸川に分かれる。
江戸川をはさむ矢切と東京都葛飾区柴又を結んで矢切の渡しがあり、現在も渡し舟が運行されている。柴又帝釈天界隈とともに環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。


 
 矢 切 津     
過 帝 釋 天 臨 碧 流 
渡 船 閑 坐 櫓 聲 柔 
忽 懷 小 説 描 悲 戀 
好 訪 純 心 野 菊 丘 

     矢切の津
             津田峻一
 帝釈天を過ぎて碧流に臨む
 船閑かに坐せば 櫓声柔らかなり 
 忽ち懐ふ 小説  悲恋を描くを
 好し訪ねん 純心  野菊の丘

   
 矢 切 渡      
楊 柳 搖 風 柴 又 邊 
輕 舟 逆 浪 渡 江 川 
碑 云 此 昔 干 戈 地 
切 矢 安 寧 人 願 天 
 
     矢切の渡
              曉舟 長島ツタヱ
  楊柳 風に揺らぐ 柴又の辺
  軽舟 浪に逆って 江川を渡る
  碑に云ふ 此は昔干戈の地
  矢を切って 安寧 人 天に願ふと

 
 看江戸川燈籠流
江 頭 日 暮 已 冥 冥
波 静 燈 籠 流 影 青
神 秘 恍 然 心 賞 好
点 光 映 水 美 於 星
 
   江戸川燈籠流しを看る
        昭風 石塚憲昭
江頭日暮れて 已に冥冥たり
波静かに 燈籠流影青し
神秘 恍然として 心賞好し
点光 水に映じて 星よりも美し

 
  夏日矢切渡偶成
旗 亭 人 去 夕 陽 収
来 往 櫓 声 無 暫 休
矢 切 渡 船 詩 興 足
涼 風 洗 暑 一 川 流
  夏日矢切渡偶成
        渓雲 杉山正男
旗亭人去り 夕陽収まる
来往の櫓声 暫くも休むなし
矢切の渡船 詩興足り
涼風 暑を洗って一川流る


 
  江戸川煙花有感
長 堤 両 岸 閃 光 鮮
繚 乱 煙 花 益 競 姸
漠 漠 江 天 銀 漢 淡
軽 衫 忘 暑 杖 孤 牽
  江戸川煙花有感り
       皓嬉 斎藤三千代
長堤の両岸 閃光鮮かに
繚乱たる煙花 益ます姸を競う
漠漠たる江天 銀漢淡く
軽衫 暑を忘れて 杖孤り牽く


  海老川

海老川は、船橋市中央部を流れる海老川水系本流の河川。日本武尊の東征の際に、地元民が小舟を並べて橋を渡したという、船橋の地名の由来となった河川である。
鎌倉時代にこの地を通りがけた源頼朝公に対し村人が大日川で取れた海老を献上したことから頼朝が「海老川」と名付けたとされているが、これはただの伝説にしかすぎない。他にも大日川が海老のように激しく、蛇行していたことに由来する説や手長海老が多く生息していた為その名称となったなど諸説存在する。
   
 船橋海老川  
西 郊 散 策 一 川 明
鴨 泳 鯉 跳 秋 気 清
春 興 酔 人 今 何 處
再 期 遭 遇 憶 君 行
  船橋海老川
         田中 洋
西郊散策すれば 一川明かなり
鴨泳ぎ鯉跳び 秋気清し
春興の酔人 今何処
再び遭遇せんと期し君を憶いて行く

         
    船橋海老川桜花絨毯
風 似 惜 春 飄 撫 堤
万 枝 踊 尽 舞 華 凄
花 英 累 累 為 絨 毯
誰 咎 晨 明 蹂 是 蹊
  船橋海老川 桜花の絨毯
        渓孟 長坂 孟
風は春を惜しむが似く 飄して堤を撫す
万枝踊り尽くして 舞う華凄し
花英累累 絨毯を為す
誰か咎めん 晨明 是の蹊を蹂(ふみにじ)るを


   谷津干潟

谷津干潟は、千葉県習志野市谷津および秋津にある約40haの干潟です。東京湾に飛来するシギ類、チドリ類、カモ類といった渡り鳥の希少な生息地になっている。
   
谷津落雁   
海 浜 干 潟 有 無 間
百 鳥 飛 来 留 復 還
落 雁 数 行 声 断 続
谷 津 水 畔 彩 京 湾
  谷津の落雁
       虚松 木村成憲
海浜干潟 有無の間
百鳥飛来し 留まり復た還る
落雁数行 声断続し
谷津の水畔 京湾を彩る

   印旛沼・印西

印旛沼は、千葉県北西部、印西市、佐倉市、成田市、印旛郡栄町、八千代市にまたがる利根川水系の湖沼です。
県立自然公園(印旛手賀自然公園)に指定されていて、サイクリングロードや遊歩道が整備されている。また、西印旛沼にあたる佐倉市「ふるさと広場」には湖畔にオランダ風の風車があるほか、シーズンになるとチューリップやコスモスなどの花畑としても整備されている。
   
印旛沼散策  
流 鴬 良 舌 印 旛 村
巨 沼 溶 溶 蘆 葦 繁
堤 上 遠 望 天 接 水
陽 光 燦 燦 恵 風 暄
  印旛沼散策
        永田 晃
流鴬 良舌 印旛の村
巨沼溶溶 蘆葦繁し
堤上 遠望すれば 天水に接す
陽光燦燦 恵風暄
かなり

   
尋印西秋   
房 総 古 丘 曾 馬 雄
鶻 高 独 占 牧 原 穹
林 祠 蕭 瑟 巷 村 塚
往 時 芒 芒 錦 繍 中
  印西の秋を尋ぬ
       棲雲 羽生祚雄
房総の古丘 曾つて馬雄し
鶻(こつ:隼)高く」独り占む 牧原の穹
林祠蕭瑟 巷村の塚
往時 芒芒錦繍の中

 
 春遊印旛野  
総 州 臺 地 印 旛 頭
小 徑 緩 行 心 事 悠
碧 落 山 遙 藏 里 社
平 蕪 舊 觀 没 春 流
 春 印旛野に遊ぶ
       伯風 斉藤博文
総州の台地 印旛の頭
小径 緩行すれば心事悠なり
碧落 山遥かにして 里社を蔵し
平蕪 旧観 春流に没す

  八木ヶ谷城址

柏上遺跡からは古代の古墳時代中期の住居址が発見された。八木ケ谷王子遺跡は中世の墓址である。他に中世の遺跡として長福寺周辺の八木ケ谷城址がある王子神社は八木ケ谷の鎮守。祭神はいざなみ命・日本武尊・誉田別尊。ここは、江戸時代に石尊社(石尊権現)があった場所で、明治45年に明治政府の神社整理令を承けて、区内の王子神社・白幡神社・石尊神社が合併し、新たに王子神社となったものである。

    鎮座八木谷城址土塁王子神社
仰 看 名 木 寺 楼 東
高 格 蕭 然 衆 聚 崇
伝 聞 曾 繁 夫 婦 樹
未 春 已 茁 北 風 中
  八木が谷城址の土塁に鎮座す王子神社
       薄井喜美子
仰ぎ看る名木 寺楼の東
高格蕭然として 衆の崇ぶを聚む
伝え聞く 曾つて繁る夫婦の樹なりと
未だ春ならざるに 已に茁(さつ)す北風の中

   国府台合戦

国府台合戦(こうのだいかっせん)は、戦国時代に下総国の国府台城(現在の千葉県市川市)一帯で北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦で、この戦いの結果、北条氏の勢力は下総にまで広がった。一方、上総国南部にはこの戦いでほとんど無傷であった里見が進出して、房総半島の大半を手中に収めることになったのである。
  国府台懐古  
郡 雄 争 乱 総 州 台
逝 水 不 知 娘 奈 哀
今 日 想 看 殷 賑 處

北 条 里 見 覇 図 陪
  国府台懐古
       渓風 八嶋渓風
郡雄争い乱る 総州の台
逝水は知らず 娘奈の哀しみ
今日想い看る 殷賑の処

北条里見の覇図に陪せしを

   法華経寺

千葉県市川市中山二丁目にある日蓮宗大本山の寺院である。中山法華経寺とも呼ばれる。鎌倉時代の文応元年創立。山号は正中山。日蓮の説法と安息の地であり、境内の鬼子母神も広く信仰を集めている。いわゆる中山三法類(親師法縁、達師法縁、堺法縁)の縁頭寺である。
 
 訪中山法華經寺
名 刹 莊 巖 堂 宇 淸
忽 聞 朗 朗 讀 經 聲
崇 尊 安 養 偏 思 處
佛 典 如 論 和 老 鶯
 
中山法華経寺を訪ぬ
       莊石 森崎直武
名刹荘厳にして堂宇清し
忽ち聞く 朗々 読経の声
崇尊 安養 偏に思ふ処
仏典を論(と)くが如く 老鴬和


 
 賽中山法華経寺
中 山 名 刹 緑 陰 天
雅 楽 静 聴 深 院 辺
妙 法 読 経 寧 賽 客

名 僧 教 化 四 方 伝  
  中山法華経寺に賽す
       神種 近藤種男
中山の名刹 緑陰の天
雅楽 静かに聴く 深院の辺
妙法の読経 賽客を寧んじ
名僧の教化 四方に伝う 

 
   中山法華経寺散策
赤 門 屹 立 観 猶 奇
緑 道 蕭 森 風 又 宜
寺 裏 曳 筇 朝 雨 後

百 花 繚 乱 鳥 聲時
 中山法華経寺散策
       雲岫 石井 勉
赤門屹して 観 猶お奇に
緑道 蕭森として 風又た宜し
寺裏 筇を曳く 朝雨の後

百花繚乱たり 鳥声の時

   佐 倉

佐倉市は、千葉県北部、下総台地の中央部に位置し、成田国際空港へは東へ15キロメートル、県庁所在地の千葉市へは南西へ20キロメートルの位置にあり、市北部には印旛沼が広り豊かな自然が残っています。佐倉市の市域は、印旛沼の南に広がる台地、傾斜地からなっていて、その間を鹿島川や高崎川、小竹川などが流れ、印旛沼に注いでいます。
    
欝金香祭   
春 日 駆 馳 水 畔 方
和 蘭 名 品 欝 金 香
風 車 回 転 佐 倉 里

不 厭 看 花 已 夕 陽
 
  欝金香(チューリップ)祭
       聖山 菊田祥子
春日 駆馳す 水畔の方
和蘭名品の欝金香
風車回転す 佐倉の里

厭わず花を看れば 已に夕陽 

   関宿城

千葉県立関宿城博物館は、千葉県の最北端で利根川と江戸川の分流点のスーパー堤防上にあり、平成7年11月に開館しました。建物のうち、天守閣部分はかつての関宿城を古い記録に基づいて再現したものです。この博物館のある野田市関宿は、近世から近代にかけて利根川水運の中継地として栄え、高瀬船や通運丸が往来して賑わいました。また、徳川家康の異父弟松平康元を藩祖とする関宿藩には幕府の要職にある譜代大名が配置されました。
   
 上関宿城展望台
高 楼 佇 立 百 花 荘
窓 外 川 流 遶 野 塘
陣 陣 薫 風 吹 麦 浪
晴 天 一 碧 望 茫 洋
  関宿城展望台に上る
       桂香 齋藤かつい
高楼佇立す 百花の荘
窓外の川流 野塘を遶る
陣陣たる薫風 麦浪を吹き
晴天一碧 望み茫洋たり


   真間川

真間川(ままがわ)は、千葉県西部で江戸川から分かれ、東京湾に注ぐ川である。利根川水系の一級河川。全長8.5km・流域面積65.6km²、流域市街化率約65%の、典型的な都市河川である。『万葉集』にも詠われた真間の手児奈伝説に登場する「真間の入り江」の跡とされている。市川市の原木(ばらき)で東京湾に注ぐ。
 
 遊房州(真間川)
海 中 孤 島 草 芊 芊
三 伏 高 枝 充 耳 蝉
佇 立 巌 頭 彌 望 好
一 船 征 処 巨 濤 連
   房州に遊ぶ
       守正 今井恒子
海中の孤島 草芊芊たり
三伏 高枝 耳に充つる蝉
巌頭に佇立すれば 彌望好し
一船の征く処 巨濤連なる

   藤原市民の森

船橋市藤原は森林に覆われた台地となっていて、東武野田線馬込沢駅より西へ0.6km、法田中学校に隣接した藤原市民の森は良好な樹林地となっています。
     
藤原木魅   
藤 原 木 魅 四 季 賓
銷 夏 隣 交 蔭 潤 民
黄 落 万 頃 銀 杏 樹
願 当 欲 育 歳 千 伸
   藤原の木魅(ぼくみ)
       秀風 竹森秀己
藤原の木魅 四季の賓(まろうど)なり
銷夏 隣交 蔭は民を潤す
黄落万頃 銀杏の樹
わくばてんとすべし 歳千びるを

   
藤原梅林散歩
曾 遊 松 徑 今 梅 林
瞑 目 馳 懷 歳 月 深
閑 唱 童 謡 鶯 若 和
日 昏 猶 想 故 郷 岑
 
  藤原梅林散歩
       香溪 中澤かほる
曾て遊ぶ松径 今は梅林
瞑目 懐を馳すれば 歳月深し
閑かに童謡を唱えば鴬 和するが若し
日昏れて猶お想う故郷の岑

   船橋県民の森

昔はずっと広い森が続いていましたが、都市化が進み,森はだんだん減ってきました。このような中で、船橋県民の森は、森林を所有する方々の協力を得て開園したもので、市街地の中にある県民の森として親しまれ、15ヘクタールの森の中には、スギ、ヒノキ、ケヤキ、シラカシなどの樹木が生い茂り、野鳥のさえずりも聞こえてきます。カブトムシ、クワガタなどたくさんの昆虫も生息しています。

    
  散策船橋縣民森
逍 遥 小 径 聴 啼 鳥
木 漏 微 陽 灌 樹 林
時 有 紅 花 叢 水 畔
風 光 自 癒 萬 人 心
  船橋県民の森を散策す
       矗風 井伊直允
小径を逍遥して 啼鳥を聴く
木は微陽を漏らして樹林に灌ぐ
時に紅花の水畔に叢がる有り
風光 自ずから癒す 万人の心を

 
船橋縣民森
林 下 森 森 花 影 鮮
風 來 河 畔 聽 流 泉
早 晨 曳 杖 獨 閑 坐
杜 宇 一 聲 過 眼 前
  船橋縣民の森
       溪諒 橋本七郎
林下森森 花影鮮かなり
風來たりて 河畔 流泉を聴く
早晨 杖を曳き 独り閑かに坐せば
杜宇 一声 眼前を過ぐ

   手賀沼

千葉県北部、柏市、我孫子市、白井市、印西市にまたがる利根川水系の湖沼です。県立自然公園(印旛手賀自然公園)にも指定されていて、柏・北柏ふるさと公園、手賀沼公園、手賀沼親水広場(水の館)、鳥の博物館、山階鳥類研究所、手賀沼遊歩道、手賀沼ビオトープ、五本松公園、手賀沼フィッシングセンター、手賀の丘公園、蓮の群生地などの公園施設などがあります
 
手賀沼畔散策
偸 閑 一 日 與 朋 遊
雲 白 菊 黄 天 地 秋
微 醉 騒 人 無 限 興
聞 蛩 臥 草 夕 陽 流
手賀沼畔散策
          鏃風 八尾 晃
閑を偸んで一日 朋と遊ぶ
雲は白く菊は黄にして 天地秋なり
微醉の騒人 無限の興
蛩を聞き草に臥せば 夕陽流る

 
手賀沼夕景  
斜 陽 欲 没 夕 雲 平
残 照 映 波 天 益 明
沼 上 既 無 漁 夫 影
只 聞 恰 恰 水 禽 鳴
  
   手賀沼夕景
       薄井 隆
斜陽没せんと欲して 夕雲平らかに
残照波に映じて 天 益ます明らかなり
沼上 既に漁夫の影無く
只だ聞く 恰恰 水禽の鳴くを

   長光寺

千葉県山武市指定天然記念物「長光寺のしだれ桜」は
埴谷寺ケ台「長光寺」境内にあり「ウバヒガンしだれ」と呼ばれています。樹齢約300年、高さ15メートル、枝のひろがり800平方メートル、幹の太さ5メートルもありましたが、昭和56年8月突然西側の枝が折れてしまったそうです。長光寺は山号を昌谷山といい永正11年(1514年)千葉市中田町に創立されましたが、江戸時代に入り、埴谷領主の寄進により現在の地に移されました。

 
  花時懷山武郡長光寺
櫻 樹 越 牆 垂 朶 誇
門 前 行 客 一 嘆 嗟
夭 秧 曾 得 長 光 寺
回 首 閑 庭 滿 地 葩
 
  花の時 山武郡長光寺を懐う 
        莵庵 今田 述
桜樹 牆を越えて 垂朶は誇り
門前の行客 一に嘆嗟す
夭秧 曾て得たり 長光寺
首を回らせば 閑庭 満地の葩


   弘法寺

弘法寺(ぐほうじ)は奈良時代、行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、その心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺」と名づけ、その霊を弔われた。その後、弘法大師が教えを弘められるためにおいでになられた時、求法寺を七堂伽藍に再建され「求法寺」を「弘法寺」と改称された。本殿には、日蓮聖人御遺文「真間釈迦仏御供養逐状(おいじょう)」と「四菩薩造立鈔」にも示されてる、高名な一尊四士霊像が安置されている。

 
訪 弘 法 寺
東 君 齎 霽 及 芳 辰
處 處 花 開 繪 麗 春
弘 法 山 門 鳥 聲 好
 恍 然 獨 立 裁 詩 人
  
   弘法寺を訪う
         凰洋 小久保洋子
東君 霽を齎して 芳辰に及ぶ
処々花 開いて  麗春を絵く
弘法山門 鳥聲好し
恍然 独り立つ 詩を裁するの人

  手兒奈霊廟
眞 間 春 日 爽 風 吹
霊 廟 無 塵 花 影 移
一 脈 閑 愁 人 不 見
傳 聞 秘 話 断 腸 時 
  手兒奈霊廟
       洗鵞 斎藤房江
真間の春日 爽風吹き
霊廟 塵無く 花影移る
一脈の閑愁 人見えず
秘話を伝え聞く 断腸の時

   太田図書の墓

太田図書助資忠(おおたずしょのすけすけただ)は、関東管領扇谷上杉氏の家臣太田道灌の弟です(甥という説もあります)。 臼井城跡の傍、現在の城跡公園のすぐ近くの石碑は、臼井城の合戦にて討死した太田図書の墓と伝えられています。
  太田圖書墓
遶 池 野 徑 小 村 東
墓 石 尋 來 荒 草 充
供 木 摩 天 陰 暗 暗
郡 鴉 飛 叫 夕 陽 中 
   太田図書の墓
       清水直美
池を遶る野径 小村の東
墓石尋ね来たれば荒草充つ
供木 天を摩して 陰暗暗
郡鴉飛び叫す 夕陽の中
 

   鎌ヶ谷大仏

鎌ヶ谷宿一帯のシンボルとなっており、東側にある千葉県道59号市川印西線(木下街道)と千葉県道57号千葉,鎌ケ谷松戸線との交差点名になっている。
建立は安永5年(1776年)11月。鎌ヶ谷宿に住む大国屋福田文右衛門が先祖の霊の冥福を祈るために、江戸神田の鋳物職人多川主膳に作らせた。
現在でも大仏は福田家が所有・管理し、駅前通りに面した墓地の中に露座で建っている

 
鎌谷大佛     
面 似 月 圓 眉 似 絲  
頰 浮 微 笑 耳 雙 垂  
古 來 露 坐 迎 遊 子  
解 釋 人 閒 永 劫 悲  
 
   鎌ヶ谷大仏
         翔堂 鷲野正明
 面は月に似て円かに眉は糸に似たり
 頬には微笑を浮かべ耳は双つながら垂る
 古来露坐して遊子を迎へ
 解釈す 人間永劫の悲しみを

    訪鎌谷八幡神社 
晩 秋 靈 廟 避 塵 緣 
榊 樹 森 森 經 幾 年 
獨 拜 庚 申 碑 石 列 
道 標 又 看 客 愁 牽
 
    鎌谷八幡神社を訪ぬ
            斎藤恭子
  晩秋の霊廟 塵縁を避く
  榊樹 森々 幾年を経たる
  独り拝す 庚申碑石の列
  道標を又た看て客愁を牽く


     
   鎌谷大佛     
淸 秋 曳 杖 下 總 鄕
露 坐 佛 陀 丹 菊 香
微 笑 玉 姿 蓮 瓣 上
低 頭 合 掌 浴 慈 光
 
     鎌谷大仏
             洗鵞 斎藤房江
  清秋杖を曳く 下総の郷
  露坐の仏陀  丹菊香し
  微笑せる玉姿  蓮弁の上
  頭を低れ合掌して慈光に浴す

  鎌谷大佛     
街 衢 喧 噪 浴 塵 埃
沐 雨 櫛 風 名 刹 隈
物 換 星 移 人 事 變
泰 然 微 笑 坐 蓮 臺
       鎌ヶ谷大仏
              清水直美
   街衢の喧噪  塵埃に浴し
   雨に沐し風に櫛る 名刹の隈
   物換わり星移り人事変わるも
   泰然として微笑し 蓮台に坐す


   尋鎌谷大佛    
碧 天 風 淨 白 雲 幽  
馥 郁 黃 花 香 緩 流  
六 尺 釈 迦 常 帶 笑  
宛 如 慈 母 眼 優 柔  
 
       鎌谷大仏を尋ぬ
              芳野禎文
   碧天風浄く  白雲幽なり
   馥郁たる黄花  香り緩やかに流る
   六尺の釈迦  常に笑を帯び
   宛も慈母の如く 眼は優柔なり