絵 画 ・ 文 筆
   
 蘇州吟行会スケッチ            吉村孝一  
 

盤 門
 

盤 門
 

天下第9洞天
 

山塘街
 

周荘・水郷古鎮
 

上海ナイトクルーズ
 

滄浪亭
 

墨客園 交流会
 

周荘・水郷古鎮
 

司徒廟仏殿・東方持国天像
 
蘇州の旅                        鷲野真実
 

太 湖
 

蘇州呉宮泛太平洋酒店
 

平江路で見た犬
 
 
 紀 行 文

     初めての海外旅行                     天宮幸子

 「中国旅行に行く?」「ワーイ! 水の都蘇州ネ 行きたい」
そんなミーハー気分で私の初の海外旅行が決定してしまいました。
よくよく聞けば千葉県漢詩連盟の方々の旅行に同行させていただく旅とのことです。漢詩といえば、遠く遠くなった学生時代に杜甫、白楽天等の詩を学んだ記憶のみです。そんな私がと心苦しく感じていました。              その後、かねてから興味を感じていた詩吟に出会いました。友の紹介で良き師に巡り合い、詩吟を習い始めました。
おおげさに言えば運命を感じました。奇しくも「江南の春」を勉強したのです。その杜牧の世界を体感できるという期待感でいっぱいの出発となりました。あんなに海外旅行を怖がっていたのが嘘のようです。
 「江南の春」ばんざい! そこには悠久の時を重ねつつも今なお生き続ける古の中国がありました。翡翠のような柔らかくしなやかな芽吹きの柳々、澄んだ池の中を泳ぐ魚群、可愛らしい紅い花々、たくさんの高く高く聳える楼、台、どれをとっても杜牧が詠じた蘇州の景色がそこにありました。大切に受け継がれ守られてきた景観が広がっていました。しかし蘇州にも現代の波が押し寄せていました。目を転ずれば、高層ビル、高層マンションが林立し、日本では想像もつかない車線幅の道路を我先にと警笛を鳴らし、チャンチャンコのような妙な覆いを付けて走り抜ける電動自転車の群れ。あれが少しは事故の際の防護の役にたつのでしょうか。湧き出るがごとき人、人、人。少しでも豊かな暮らしを求めて都会に出てくる。その逞しくも雑多な現在の中国の一端をみた気がします。人の営みはこうして続いてゆくのだと実感した旅となりました。
 最後になりましたが、皆様の貴重な旅に同行させていただきありがとうございました。
私にとって有意義で最高に楽しい中国旅行となりました。


   
  
  蘇州の旅 
                            池田美保子

 門外漢にも拘わらず、ご一緒させて頂きありがとうございました。
生まれたばかりのように瑞々しい柳の淡い緑、菜の花、春色一杯の蘇州、上海の旅はとても良い季節に来られたと、大変うれしく心浮き立つ思いでした。
 農村はどこか子供の頃に見た日本の田舎の風景にも似て懐かしい気さえしました。
漢詩と詩吟の交流会は、今迄味わった事のない未知の世界を垣間見たような思いでした。
庭園はどこも太湖石をふんだんに配し独特の景観でした。
対岸が霞み、大海原と見紛うような太湖。縦横に廻る運河まさに名実共に水の都でした。
 黒瓦と白壁の伝統的な家屋が建ち並び、一方では、そびえ立つビルマンション、超近代的な街。二千年以上の悠久の時を秘めつつ未来に向かって前進し続ける中国のエネルギーを感じた旅でもありました。

   
   蘇州吟行に参加して                      岡安千尋

 九十年代半ばに、南京から揚州・蘇州と巡った。経済発展の前後で中国本土は全く変わった。今回も又その感が強かった。蘇州では前回訪れなかった所ばかりで大変面白かった。自分自身の中で特筆すべきは、「依依」と「野渡」が肌感覚でつかめたことだ。特に明月湾での突堤の雰囲気は生々しく今も鮮明だ。お世話下さった方々、同行の皆様に多謝。

   
  
   蘇州・周荘・上海の旅                     角谷生恵

 私たち母娘にとって、無事この旅程を終え帰宅できたことは大きな収穫でした。
同行の娘は“発達障害”というハンディを持っているため、国外旅行という初めての体験に対応できるかどうか大変心配していました。幸い真実さんも一緒であったことが救いになり、皆さんとも楽しい時間を過ごすことが出来て、この旅行に参加させていただけてとても良かったと思っています。今、娘は蘇州・上海を第二の故郷のように感じているようです。 私は皆さんの漢詩に対する情熱(?)を目の当たりにして、目標だった「 “名ばかり会員”からの脱却」に、少し近づくことが出来そうです。

   
  
   蘇州吟行に参加して                     河野幸男

 思い返せば高校時代に初めて漢詩に出会い、今日まで漢詩の勉強に憑かれて、日々明け暮れています。また、リタイア後の詩吟、漢詩創作との出会いが自分の生活を大きく変え、健康で充実した毎日を過ごせていることに大変感謝しています。
 今般の蘇州・周荘・上海五日間の旅は小生にとりましても大変楽しく、かつ有意義なものでした。思えば十年前の秋に江南地方(杭州・紹興・烏鎮・蘇州・無錫・上海)五日間の旅をして以来でした。
 今回は、千葉県漢詩連盟の皆さんとご一緒させていただき、漢詩創作のプレッシャーも多少ありましたが、皆さんのお力添えで、出来栄えの良し悪しは別にして何とか創作の方も進みました。
 さて、今回の旅での思い出を二、三あげるとすると、先ず一番に蘇州墨客園での蘇州大学の詩友との詩吟・書画文化交流会での出会いです。終始和やかな雰囲気の中で会は催されましたが、突然小生に独吟の指名があり、若輩の私は甚だ僭越ではありましたが「楓橋夜泊(張継)」を一所懸命吟じさせていただきました。やや緊張気味でしたが、清水事務局長の助けもあり、拙い吟ではありましたが無事吟じ終えた時は感謝の気持ちで一杯でした。また、中国の吟詠を初めて聴く機会を得、日中間の違い(母音引き・節調・メリハリ)を知ることができたのも大きな収穫でした。
 次に、漢詩創作の為の参考書を購入したいとかねがね思っていましたが、蘇州の新華書店でショッピングの機会がありました際、『図解唐詩三百詩』『浮生六記(沈复著)』『説文解字』の三冊を購入できましたが、『詩韻合璧』は店頭になく、改めて上海の書店めぐりを鷲野先生・宮﨑さんとご一緒させていただきました。一軒は在庫切れ、一軒はあいにくの休業という事で結局上海でも入手できませんでした。この書店めぐりでは、鷲野先生、宮﨑さんに大変なご足労をお掛けし恐縮している所ですが、今でも宮﨑さんの汗だくになった後姿には頭が下がる思いで深謝に堪えません。本当に有難うございました。そういう事情で本の方は諦めていたのですが、帰国後思いもよらず鷲野先生より昔上海で購入したものが一冊だけ残っていたとのことで小生へお送りいただき感謝、感謝の気持ちでした。しかし、その本を一目見た小生には難解な内容でして、今後これをいかに活用していけるかが大きな課題です。
 最後になりますが、今回の旅で蘇州・周荘・上海の実景・文化・自然遺産を自分の眼で見、また写真で切り取り、記憶に残すことができたこと、また、万三蹄など周荘名物料理も味わえたことが一番の収穫だったと思っています。今回の吟行体験を基に多くの漢詩を創作することができました。本当に小生にとっても生涯忘れがたい旅となりました。本ツアーを企画いただいた鷲野先生はじめ清水事務局長、世話役・詩友の方々、日中平和観光の白川さん、蘇州大学周秦教授、魏嘉瓉会長他中国詩友の皆さんにも厚く御礼申し上げ筆を置くことにいたします。


   
    
  蘇州吟行あれこれ
                蕗山 清水蕗山  
   
蘇州は、前回の吟行から已に七年を経て二回目の訪問となりました。前回と同じメンバーは参加二十名のうちわずかに四名と大幅に顔ぶれが変わった。今年は日本でも例年にない暖かさが続いていたが、蘇州でも同様で春と言うよりもむしろ初夏という気候で、半袖シャツを持ってくればと悔やむほどだった。
 名物の柳も二週間ほど前のほうが嫩緑の鮮やかさがあったのではないかと少々残念に感じたが、自然には逆らえない。添乗員の呉楊亜さんの自己紹介は良かった。上海空港から蘇州へ向かうバスで、「私の名前は呉楊亜です。呉は日本の呉(くれ)、楊は楊貴妃の楊、亜はアジアの亜です。私の名を覚えるには《ご(呉)よう(楊)があ(亜)りましたら…》と覚えてください」と言ったので、皆笑いに包まれ、一同いっぺんに親しくなった。
 鷲野先生は団長、千漢連の役員は世話役と称してスタートした旅であったが、失敗談をひとつ。初日上海から蘇州へ向かう途中のトイレ休憩でのことだった。「阳澄湖サービス区」と書かれた看板の前で、同行の角谷さんから「私の雅号と同じ名前だ」と言われた。その時は何も感じなく過ぎてしまい後日大失態に気づくことになるとは思いもしなかった。帰国後会員名簿を見る機会があって、角谷さんの名前と「澄湖」という雅号に気がついたのです。会員の名前も頭に入っていなかったのかと、正に汗顔の至りであった。紙面を借りてお詫びいたします。
 蘇州のホテルは「呉宮泛太平洋酒店(パンパシフィックホテル)」前回もここに宿泊した関係で勝手も分かっており、快適な連泊であった。早朝ホテルの裏口から「盤門公園」を散策した。孫権が建立した「瑞光塔」の上から昇ったばかりの朝日が照らす。池には錦鯉が銀鱗を輝かせ、処々の花も手入れが行き届いていて綺麗だ。
食事は「清華酒楼」「林屋山荘」「呉門印象」「得月楼」「老東呉食府」「沈庁酒家」「海龍海鮮舫」でいただいたが、気のせいか七年前より全体に油っぽさが減っているように感じ、食べやすかった。特に昼夜を問わず飲んだ3%~4%のビールはさっぱりしていて美味しかった。中でも「林屋山荘」の農家料理は貴重な体験であった。バス通りから茶畑や丁度梨の花が盛りの果物畑、鵲(かささぎ)の巣があちこちの木に架かっている道を歩いて到着。食後、この日だけ交代したガイドの朱鳳興さんが、日本の歌を数曲披露してヤンヤの喝采をあびた。
 男性陣は毎夜反省会と称して幹事部屋に集まりチビリ、チビリと持参したウイスキーを嗜み、女性陣も一夜女子会を催して親交を深めるなど楽しい四泊五日だった。何よりも皆無事で成田に帰ってこられたのが一番であった。日中平和観光の白川さん、同行の皆さんのご協力に感謝します。以下拙詩をいくつか。


   
  
  蘇州の旅を終えて 
                 杉本美枝子

この度千葉県漢詩連盟の旅行に参加させて頂き、有り難うございました。四年前も台湾旅行に参加させて頂き大変有意義な経験をし楽しい旅でした。
 今回も清水先生のお誘いに即座にお願いしますと言ってみたものの「漢詩もよく解からないのに・・・」と言う思いもありましたが参加させていただきました。     
 さて、待望の中国江南地方の水の都蘇州、周荘、上海の旅です。
 詩吟でお馴染みの杜牧、李白、高啓の世界でした。 
 鷲野先生のお計らいで蘇州大学の方々との吟詠及び、書画の交流会は素晴らしいひと時でした。唯、吟詠法の違いを強く感じました。語彙に貧しい私ですが感じたままを短歌にしてみました。

  1、日々鮮やかなる楊柳に千漢連の旅情心に残る
  2、高楼の楊柳芽を吹く春の日に未知の地踏みて胸はとどろく
  3、蘇州路幾多の戦くぐり抜け太古の歴史今此処にあり
  4、夢枕啼鳥の声高く飛び楊柳の影何処に
  5、雑踏に負けずに開花の玉蘭天を指す
  6、水路の小径富豪の館に想い巡らす

   
 
  蘇州吟行に参加して
                田中 洋

三月二十二日から、五日間の千葉漢詩連盟の蘇州吟行に参加して、貴重な体験をしました。久しぶりの上海は、懐かしく、美しくなった街並みに感心しました。
 特に、十年前に居た乞食がすっかり影を潜めていたのには、時代の移り変わりを感じました。蘇州もよかったのですが、名月湾から見た三山は、呉越の昔がしのばれて、感無量でした。また蘇州の庭園の写真集を買うことが出来、幸いでし
た。
 四日目に蘇州から上海に移動の時。周荘に寄った時、一時間半、原さんと二人迷子になったことは、忘れられない思い出です。ガイドの旗を見失って、二人で歩き回って探したが、ガイドの電話番号もランチの場所も記憶になく、探す方法がなく、途方に暮れていたとき、ガイドの友人が見つけてくれました。ランチの場所まで送ってくれたが、時間がなく十分で昼食をたべねばなりませんでした。
 今後、迷子になったときの対策講じておく必要があるのを、痛感しました。
 無事成田に帰って来て、ほっとしました。しかし清水先生への漢詩送付のノルマが、重く肩にかかってきました。
いずれにしても、楽しい人生最後の海外旅行を満喫しました。有難う御座いました。

   
    
  迷子の記                        正軒  原  正

 旅ほど面白いものは無い。八十翁が異国でしかも二人そろって、顔面蒼白。これも「昆劇の美女」に心を移した挙げ句。
 「周荘」は、人波みに溢れていた。彷徨い歩いていると、ふと妙音。昨夜、「非遺堂」で耳にした「昆曲」。会場に足を踏み入れると、熱演中。写真を撮影してもよろしいかと、尋ねると、よろしいとの事。気が付くと相当時間も経っている。あたりを見ると、同友のTさんも鑑賞されている。又、ひとしきり昆劇の世界へ。
 気が付くと、Tさんが心配気。そうだ。昼飯。Tさんとともに会場を出ると、当然のことながら、同行の一行はいない。さてどうしたものか。
 到着した橋のたもとに、行ってみた。誰もいない。これはしまった。バスが着いた、広場に向う。誰に何を聞いても解らない。そうだ。バスが着いたターミナルに行けばバスは待っているだろうと、二人は歩き出す。一時過ぎまでは、バスは駐車している筈だ。
 バスから眺めた風景と、徒歩の風景とは全く違う。こんなところが、あったかしら?。
歩き疲れていると、人力車の車夫が寄ってきた。何處に行くのかと、尋ねているらしい。「バスターミナル」。「乗ってくれ」「いくらだ」「二人で二〇元」「よろしい」人力車でターミナルへ。だがターミナルにバスは無い。
 女性の観光案内人は英語が堪能。こちらもそのつもりだが、あまり通じない。
突然、立派な男性が日本語で「貴方は原さんか?」確認するや、携帯でしゃべくりまくっている。「これからご一行の処に案内するから、車に乗れ」
 ガイドの呉さんがにこにこと近づいてきて、「ガイド仲間に、緊急、手配をしたのですよ」これで一件落着。

   
   
  嫩柳依依たり                    尚堂  宮﨑三郎

柏梁体連句「寒」韻の登録リストがバスの席に回ってきましたので、その場で頭をひねっても咄嗟にヒントも浮かばないはずですから、「残りものに福あり、ままよ!」と目をつぶって指した韻字が「弾」でした。
「はじく、ひく」。初日の上海到着以降のあれこれを直ちに思い浮かべましたが、それらしきシーンはこれまで全く無し。「タマを発射する」、「つまはじきする」如きはいただけないとなると、残るのは「楽器をひく」の類いで、しかし、この吟行で弦楽器にお目に掛かるような機会は予想もできず、「はてさて」と些か暗い気分のままに蘇州へ戻ってきました。
さて、戻った後に、この地方の長官であった白居易(白楽天)が開鑿(かいさく)したと聞く山塘河を渡って、名勝・虎山を遊覧しようと乗合船に座っていましたら、何と琵琶を抱えた、ジーンズにチャイナ・ドレスを羽織った女性が突然乗り込んできまして、これには驚きました。この女性、何曲か弾き語りをしてくれましたが、船着き場でヒョイと飛び移り去っていく後ろ姿に、小生は「謝謝」と胸中つぶやいたのであります。
その夜のことですが、町なかの横丁をゾロゾロと何やら怪しげな家へ、崑曲(こんきょく)なる伝統戯曲を聞きに行きましたら、京劇風の化粧衣装の女性と相方の男性がステージに登場しまして、これまた何と伴奏用の琵琶に蛇皮線(沖縄の三線に酷似)まで抱えてきました。
好好(ハオハオ)。これで「弾」の字が一気に身近になりました。午後のバスでの気分を思い返しながら、「世の中、先のことは分からないものだ」と改めて思ったのであります。

「走馬観花」。かつて中国のガイドさんから教えてもらったのですが、これは、忙(せわ)しなく駆け足で回るツアーを意味するそうです。
旅行好き(漢和辞典によれば「煙霞癖」)の私、これまで風に吹かれて遠近を問わず出掛けてきましたが、漢詩愛好家の方々とオーダーメイドの旅を始めましてからは、馬を走らせ時間刻みで観光名所のあちこちを通り過ぎるツアーには、物足りなさを覚えることが多くなりました。見所は少なくても、心豊かになれるような、ゆったりとした旅の方ががいいですねぇ。
今回も、例えば、太湖に浮かぶ西山島でのことですが、昼食場所の山荘までの田舎道を、梨花の白、菜花の黄、杏花の淡紅を愛でながらまことに春麗(うら)ら、プラプラと歩きました。また翌日は、蘇州の繁華街裏手に在る別天地の如き造りの凝った家で、この地の文人墨客の人たちの様々な詩歌の朗吟や墨絵の揮毫をゆったりと楽しむことができましたが、こうした長閑(のど)やかな経験や現地の人たちとの交流は、「走馬観花」の旅では望むべくもありません。なお、今回は、名の通っている寒山寺への観光は除かれましたが、前回に参りました折は、駆け足ながらのような観光客が余りにも多く、ともあれ、このお寺さんが俗っぽく、イメージと全く異なっていたのには愕然としたことを思い出します。
ところで、寒山寺ついでの余談ですが、その前回のこと、各国からの観光客に負けず劣らず日本からのツアー客が境内で多く見受けられました。戦前から歌い継がれてきた「蘇州夜曲」の「・・涙ぐむよなおぼろの月の、鐘が鳴ります寒山寺」の歌詞に誘引されてか、大晦日にツアーを組んで鐘の音を聴きに来る日本人も居られるとか。その寒山寺の鐘ですが、七年前の経験では、「ひと撞きだけ。お代はいくら」と高めの定価が確か書かれていました。大震災の犠牲になられた方々への思いを込めて、一つ撞いてきましたが。
今回は、二日目に太湖へ向かう途中のこと、観光客は殆ど姿が見えない司徒廟で、思いがけなくも鐘を撞くことができました。お代はお志(こころざし)のままで、また、三回まで撞いても結構とのことでした。鐘聲隠々、物我相い忘れ、太湖へ響きゆく清音に、私は暫し聴き入ったのであります。

嫩柳(どんりゅう)、若芽を吹いた柳。中国を訪れる度に、楊柳が多いなぁと思います。日本での桜のように、おそらくはこの国の春を代表する植物となっているのでしょう。なお、本来は、「楊」はカワヤナギなどを言い、シダレヤナギの「柳」とは種類を異にするようです。その枝垂れ柳、水路の街・蘇州は取分け立派なのが多いように思われまして、柔らかな淡黄色に包まれた柳の糸に、いつもウットリと見惚れます。因みに、今回、帰国後直ぐに福岡県の柳川を訪れましたが、水辺の嫩柳は、糸の豊かさ、色合いとも蘇州とは比較になりませんでした。蘇州の春の好風景は、柳の色に負うところが大きいのかもしれません。
「昨夜東風入武昌(昨夜 東風 武昌(長江をさらに上った今の武漢)に入り)、陌頭楊柳黄金色(陌(はく)頭の楊柳 黄金の色)」。李白の「早春 王漢陽に寄す」の一部です。夕べ突然、春風がこの武昌の町に吹き寄せ、道のヤナギの糸は、一斉に美しい黄金色と化したと。
前回の蘇州吟行も、三月下旬の全く同じ日取りでしたが、その一か月後に別のツアーで再び蘇州を訪れました折は、柳の色は濃い緑色と様変わりしていたため、些か残念な思いがしたことを思い出します。三月末の吟行の方は、大震災直後の、憂愁の念を抱きながらの旅でしたので、柔らかで優しい嫩柳の色合いが殊更胸に染みていたのかもしれませんが。
なお、前述の詩の第八句には、「与君連日酔壺觴(君と連日 壺觴に酔わん)」とあります。

   
   
  蘇州旅行に参加して
             宇都宮市 吉村孝一
                      
会社勤めをしていた頃、上海や北京に出張する機会が多くありましたが、二回目に出張した際、上海に駐在していた後輩が江南地方を案内してくれたことがありました。その時、どこに案内されたか殆ど覚えていませんが、水郷地帯の広々とした光景と運河沿いの鄙びた屋並みがとても気に入り、またいつか来たいと思っていました。しかし、定年退職後は中国に行く機会がなくなり、残念に思っていたところ、今回、理事の宮崎さんを通してこの旅行へのお誘いを受けたことは大変有難くすぐに参加の申し込みをさせていただいた次第です。今回の旅行先は日本人観光客が普段行かない漢詩にちなんだ場所だという鷲野先生の事前の説明もあり楽しみにしていましたが、期待に違わぬ内容で参加して良かったなと思っております。
そこで、今回、旅行に参加して感じたことを以下に記させていただきます。

1、中国の歴史の深さと日本が受けた影響
このことは毎回、中国を訪れるたびに感ずることですが、今回は各訪問先で詳しい説明を受けたこともあり、この思いを強くしました。それと共に、文化大革命、天安門事件以後、沈滞していた経済を立て直し目覚ましく発展している最近の中国の様子を垣間見ることができ、中国はやはり奥が深いなとの思いを強くした次第です。

2、農家料理
今回、二日目の昼食が農家料理でしたが、普通の民家(農家)に招き入れられた時にはこんなところで昼食を摂るのかと多少いぶかしい気持ちになりましたが、出された料理が日本人好みの味つけで美味しく、また接遇してくれたおばあさんや娘さん達も庶民的だったことが好印象に繋がりました。まさか古びたエプロンをかけたおばあさんが出迎えてくれるとは思っていませんでしたので驚くと共に、私の田舎にもかつて同じような風体のおばさん達が一杯いたなと妙な懐かしさを感じながら美味しい料理を賞味させていただきました。

3、 
 中国に来るたびにモータリゼーションの進展の早さを感じます。それと共に交通渋滞のひどさとマナーの悪さも。オートバイの多さはベトナムなど他のアジア諸国ほどではないと思いましたが、電動付き自転車の多さには正直驚かされました。また、オートバイや電動付き自転車の二人、三人乗りは今の日本では考えられませんが、私が幼かった頃(昭和30年代前半)、父親の自転車の前に私、後ろの荷台に次姉、母の自転車の後ろに長姉を載せ、蛍狩りなどに行ったことなどが思い出され、場所や時代は違っても人間のやることはそんなに違うものではないなということに気づかされました。それと多くのオートバイにつけられていた前掛け、あれは雨を防ぐためでしょうか。やや薄めの布団か毛布のようにも見えたので、寒さしのぎかなとも思いましたが、江南地方はさほど寒くないはずなのでそうでもないように思われましたが如何でしょうか。かつて、日本でも自転車に雨除け用の前掛けシートをつけていましたが、オートバイに前掛けを付けなければならない理由がどこにあるのか、本当に不思議でできたらその理由を聞いてみたいものだと思っていました。それにしても、後ろから来たオートバイがやたら警笛を鳴らし、我が物顔に追い抜いて行く姿には驚くやらあきれるやで、私も含めて殆どの日本人が信じがたい気持になったのではないでしょうか。何度もこうした警笛に驚かされたせいもありますが、尖閣諸島で行われている容赦のない威嚇軍事行動など中国政府の高圧的態度と通ずるものがあるように思えてならなかったのは余りにも穿った見方でしょうか。

   
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