令和3年 秋 吟行会 布施弁天、あけぼの山公園


                              幹事  森崎直武

令和元年の十一月に実施した成田山新勝寺の吟行会後、コロナ禍で三回実施不能となり、二年ぶりの開催となりました。十一月九日午前十時十五分JR柏駅に集合。当日の天気は、低気圧の通過と重なり朝から雨。案内では少雨決行でしたので、予定通り行うことにした。過去の吟行会では、雨降りはなかったとのこと、このような状況下でも、十六名の参加があり感謝しております。幸い布施弁天保存会所属の芳野会員が、案内役を一手に引き受けてくださり、雨中万事がスムーズに運び、正に百万の味方を得た気持ちでした。鷲野会長から「雨も亦奇なり」とのお話もあり意をつよくしました。

柏駅を十時四十五分のバスで出発、約三十分後現地に到着。雨は依然と降り続いて状態は、さらに厳しいものになった。下車すると目前に、威風堂々たる楼門が、我々をやさしく迎えてくれた。

   吟行會      森崎直武
待望當年喜疫平 待望の当年 疫平らかなるを喜ぶ
鷗盟相對感頻生
 鷗盟相対して感頻りに生ず
催詩好雨興成友 催詩の好雨 興の友と成し
布施辯天心亦輕 布施弁天 心亦軽し
 

    
布施弁天について

         幹事:森崎直武  
 

「布施の弁天様」として親しまれている当山は、紅龍山布施弁天東海寺と称し
、大同二年(八〇七)に弘法大師空海御作といわれる弁財天像をご本尊(秘仏)として開山された祈願寺です。

平成十八年本堂・楼門・鐘楼が千葉県重要文化財の指定を受けた。
弁財天(弁才天)

七福神の弁天様は、「大日経」に説かれている二臂「二本の腕」を持ち琵琶を奏でる天女姿であるが、当山の布施弁天は義浄がインドから中国に持ち込んだとされる「金光明最勝王経」に説かれている八臂弁財(才)天です。
八臂(八本の腕)弁財天は、剣、弓、矢、斧など武器を持った戦闘神、守護神の風体で、裸形や天女の風情ではなく、中国の貴族女性の服装のようになっています。
剣は不動尊も持っていますが、冴えわたった知恵を現し、また煩悩を断ち切るために知恵の利剣というような意味で剣を持っています。
玉はいわゆる宝珠ということで、財宝、心の幸せを与える宝としてもっており、弓とか矢は、それぞれ心の魔、煩悩などを退治する知恵を改良するために持っています。
殊に、日本では江戸時代に七福神の一つとして、もっぱら福徳財宝の神であるとして衆庶の信仰を集めたのです。
弁財天はインド神話に出てくる河川神を神格化した女神のことです。
俗に弁財天とも書き、略して弁天と呼びます。この神は人の汚れを払い、冨・名誉・福徳・食物を与え勇気と子孫とを恵みとされ、のちには学問と技芸の神、雄弁と知恵の保護神としての地位を与えられたのです。
一方仏教では無礙弁天をそなえ、福知を増し、長寿と財宝を得さしめ、天災地変を除滅し、かつ戦勝を得させる天女とされます。

いわれ (縁起)

赤い龍と天女の御像 
大同二年(八〇七)七月七日、大雷雨とともに赤い龍が現われ手に持った土塊を捧げて島を造り、その時から島の東の山麓から夜な夜な不思議な光が射しました。ある時、天女が村人の夢に現れて、「我は、但馬の国朝来郡筒江の郷(現兵庫県朝来郡和田山町)から参った、我を探し祭りなさい。」と告げました。夢から覚めた村人が光をたどっていくとそこに九センチメートルほどの尊い御像があったので、藁葺きの小祠を建てておまつりした。

弘法大師による開山


のちに弘法大師空海が関東地域に巡錫のおり、この話を聞き布施に参り「この像は、私が但馬の国で願をかけ、彫刻し奉った弁財天である」と感嘆せられました。そこで大師は寺を造り、山を紅龍山とよび、この村を天女の御利益にあやかり「布施」と名付け、京に帰り親交の深い嵯峨天皇に事の次第を申し上げた。

嵯峨天皇の勅願所に指定

弘仁十四年(八二三)に入り、その話にいたく感動された嵯峨天皇は田畑を寄付され、堂塔伽藍を建立され勅願所(天皇が天災地変や疫病鎮護を祈願せしめられた寺社)に指定されました。本堂の向拝の回柱に菊の紋章があるのは、そのためです。

以下境内の建造物について説明。

   布施弁天の楼門

 総欅二階建の「最勝閣」。階下に四天王、階上には釈迦三尊を安置し、楼門は文化七年(一八一〇)の建立で、屋根は入母屋造りで桟瓦葺(さんがわらぶき)。一階部分は漆喰で白く塗り固められていたと思われ、竜宮城の門のよう(現在はコンクリートに変えられています)で、軒下には竜、麒麟、亀、鶴といった素木造りの彫刻がはめ込まれているのも特徴です。建築の大工棟梁は布施村の藤十郎という人物。
傘をさして昔の雰囲気を感じながら、周囲を丹念に観察。

 布施弁天本堂

 享保二年(一七一七)に建立されたもの、二六四平方メートル(約八十坪)。屋根は入母屋造りで正面の屋根に突き出すように据破風を設け、正面軒には三間分の唐破風付の向拝がつくられています。屋根は本来、茅葺であったものを、現在は鋼板葺きに変えられています。内部は、屋根の棟の通りに柱を立て、本尊を安置する内陣と礼拝・儀礼用の外陣に区別され、周囲には高欄を付けた縁が中世以来の密教仏堂の形式を受け継いでいるとともに、多くの部分に彫刻や彩色を加えるなど華やかな近世的な作り方が見られる点が特徴とされます。本堂は数度の戦火により消失しましたが、篤信していた時の領主本多豊前守が九十八名の大名から寄進を求め、享保二年(一七一七)、現本堂を完成させました。本堂外陣の天井鏡板の竜は狩野探舟の作です。唐風の向拝を持つ三方破風造り総朱塗りの華麗な大本堂です。
雨にぬれて滑りやすくなっている木段を注意して上り、それぞれの思いを祈念して、本堂内に入る。一同着席後、芳野会員懇意の寺僧から先に記した楼門・本堂の説明を主に、弁財天とは、等々約三十分の法話を拝聴した。質疑応答終了後、本堂を出る。

  尋東海寺       森崎 直武
潦雨吟行拝本堂  潦雨の吟行 本堂に拝す
安寧祈念世塵忘  安寧祈念して 世塵を忘る
寺僧法話響心意  寺僧の法話 心意に響く
倚檻遙望萬物昌  檻に倚り遥に望めば万物昌なり
 

 
 本堂と庫裏の間の中庭にある。

 
 松尾芭蕉
  涼しさや 真帆に真向きの 山なれば

宝井其角
  玉つばき ひるもうでけり 布施こもり

但し、芭蕉は、柏に来なかったという説もある。

   昼食は 茶屋「花華

昼食前、境内諸建造物の拝観を自由に行い、十二時ちょうどに境内の茶屋「花華」で予約していた昼食(そば・稲荷ずし)で一休み。アルコールないのが少々残念。薄井会員から柏梁体の韻字選択があった。裏庭の席からは、あけぼの山農業公園の季節の花が見られるそうであるが、残念ながら視界悪し。ただ、利根川の堤防が横一線に連なっているのが見えた。雨の不安が付きまとうが、参拝の御利益あってか、一時間の休憩で小雨となる。
先に続いて以下、主たる建造物の説明

   鐘楼

全国でも珍しい多宝塔式の総欅造りです。基担は、みかげ石積み八角形、その上には、十二本の円柱で円形の本体を構成し、その柱頭に十二支の彫刻を配して方位を表しています。棟札によると文化十五年(一八一八)の建立。八角形(一辺三・四メートル)の石積基礎の上に、十二角形に柱を建て、周囲に円形の縁を巡らしその中央に鐘を吊り下げています。屋根は銅板葺の入母屋造で、軒下には十二支などの彫刻が配置されています。下から八角形の基礎、円形の縁、十二角形に配置された柱という組み合わせとなっており、非常に独創的な形の建造物となっています。装飾に多くの彫刻が使われている点とあわせて近世の寺社建築の多様な在り方を示しています。

   虚空蔵菩薩

 左手に福徳を表す蓮華と宝珠を持っています。この像の前で虚空蔵菩薩法と呼ばれる秘法を行うとすべての願いがかなえられ、その福徳はかぎりがありません。弘法大師は十九才の時、室戸岬の波打ち際の洞窟で「虚空蔵求聞特法を修し悟りを開き、無限の智慧を手に入れたといわれております。頭が良くなるように、「十三参り」を祈願します。 
 知恵、福徳、家庭円満。

   妙見大菩薩

 夜空に煌めく北斗七星を含む、北極星の神様仏様のありがたい御化身です。古代、灯りの無い漆黒の夜の移動において、北極星は唯一の方位を知る手段でした。方位を知ることにより、安全な方向、最短距離が初めて解り、時空間の観念の大元になりました。これが妙見信仰の始まりと言われています。見ること、見られること、目の病等に計り知れない守護があると伝えられています。
  布施観音像

我ら衆生の暮らしを遍く見渡し、救いの手を差し伸べてくださる観音様は、人々の家内安穏、夫婦和合、心身健全、病気平癒を希い、常に身近にいます。
以下、弘法大師、三重塔、大日堂、ぴんぴんころり地蔵、愛染明王、歓喜天、観音堂、等ありますが詳細は省略します。境内狭しと沢山の建造物に驚きを覚えた。

   あけぼの山公園

 あけぼの山公園は、安らぎ、余暇利用のための快適な空間の提供や、美しい自然の風景と景観などの趣や味わいを楽しむ公園として設置されました。小高い丘となっている桜山は桜の名所で、春先には花見客でにぎわいます。その他に日本庭園の中心には本格的な茶室「柏泉亭」があり、花菖蒲が咲く水生植物園もあります。また、隣接のあけぼの山農業公園では、風車や四季の花(チューリップ、ヒマワリ、コスモス)などが楽しめます。今回は雨の為、農業公園には寄らず日本庭園、茶室、桜山を散策。

   日本庭園

 歩道一杯の水たまりを避けながら歩を進める。しかし徐々に靴が濡れ水がしみこみ、何とも言えない感覚が生じる。園内は、数本の松の枝ぶりと青、刈り込まれた芝生のうねり、小池の雨による水紋などで庭園らしさを満喫できた。
 茶室は中には入れず外観を見るにとどまりました。庭園内での茶会ができれば素晴らしい別世界を楽しむことができるのでしょう。

  雨中日本庭園     森崎直武
渟水濡靴歩歩前 渟水 靴を濡らして歩々前む
樓松秀葉翠逾姸 楼松の秀葉 翠逾妍なり
小池叩雨水紋躍 小池雨に叩かれ 水紋躍る
回首霜楓紅似燃 首を回らせば霜楓 紅燃えるが似し
 

   桜山

 細い坂道を登りきると、そこには高く大きな桜の木が林立、数本は枯れて新木を植え今後その数を増やすとのこと(世代交代)。春には芝生の植わった桜の園での花見、素晴らしいことでょう。(花を見ながら一杯を想像す。)

 
 櫻 山         森崎直武
細徑黙然登小丘 細径黙然として 小丘に登る
疎林櫻樹正中秋 疎林の桜樹 正に中秋
横斜老幹昇龍似 横斜の老幹 昇龍に似たり
䔥瑟無人坐惹愁 䔥瑟として人無く坐ろに愁いを惹く
 

   小林一茶の俳文碑

 これは一茶が文化九年(一八一二)に隣接する布施弁天東海寺を参詣したときに詠んだ俳文と句。字体は一茶の直筆を拡大して刻まれている。その句は 
米蒔くも 罪ぞよ鶏が け合ぞよ

  最後、バス乗り場までの歩行約三十分は、田園の果実、野菜を眺めながら一歩一歩に、相当きついものがあり、大変お疲れ様でした。バスに乗車して、JR我孫子駅に向い到着後解散。
次回の吟行会も何卒よろしく、御参加頂きますようお願いいたします。

                                以上
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