秋季吟行会 墨東散策 『東向島散策』

                                          案内 芳野禎文
 
                       会長及び会員の詩       柏梁體聯句
 
墨東散策『東向島を行く』       芳野禎文


墨東散策シリーズの四回目は東向島の探訪。

行程中の見所は①隅田川七福神巡り(前々回は四神の大黒神、恵比寿神、布袋神、弁財天 今回は三神の福禄寿、寿老神、毘沙門天)②向島百花園③木母寺④その他道順の寺社史跡。

令和五年十一月十八日(土)九時三十分、東武スカイツリーライン東向島駅集合。参加者は十二名。訪問先の資料、行程マップが配布される。
担当の河野理事は既に下見をされており、今回は水先案内人。簡単なルート説明の後、鷲野会長のご挨拶を戴き出発。

 ① 向島百花園

東向島駅から西へ十分。入園料は七十円(シニア)。先ずは芭蕉の句碑がお出迎え、「春もやや けしきととのう 月と梅」。百花園は二百年前、文化文政期(一八〇四年~一八三〇年)、骨董商の佐原鞠塢(きくう)が開園。当初は三六〇本の梅が主体。その後詩経、万葉集等の古典に読まれている草木を集め、四季を通じて花が咲く規模に拡大され、現代に残る江戸時代唯一の花園となった。昭和一三年東京市に寄付され、昭和五三年国の名勝史跡に指定された。園内には文人、墨客の二十九の句碑がある。園内の植栽は全て「和風」で統一されており先人のコンセプトの潔さを感じた。花の棚(フジ、クズ、ミツバアケビ)、つる棚(ヒョウタン、ヘチマ、ヘビウリ)、ハギのトンネル(全長三〇m)。池の水辺にはハナショウブ、ハンゲショウ。今回は秋の七草のピークが過ぎていたがオミナエシ、ホトトギス、ススキ、ツワブキ等が確認できた。順路に従って七福神の一神、福禄寿尊をお参りし、初冬の古園を散策した。古池から眺めるスカイツリーの景色は意外にもバランスがとれており、「詩材としても有り」と感じた。草木の手入れも良く、春秋の季節にも再来したい庭である。 

  
 訪向島百花園   向島百花園を訪ぬ
秋花散盡小春庭 秋花散じ尽す 小春の庭  
樹上紅黃榴橘亭 樹上の紅黄 榴橘の亭
高塔摩天映池處 高塔天を摩して池に映ずる処 
朝陽照出愈熒熒 朝陽照らし出して愈いよ熒々

 
 ② 白髭(しらひげ)神社、寿老神

百花園から北西に5分。今から千年前、滋賀県琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊として祀られた。(主祭神は猿田彦大神)。目的の七福神巡り六つ目の神(寿老神)である。交通安全、商売繁盛、方災除、延命、長寿の神として信仰されている。境内には鷲津毅堂を称える碑(碑文は三島中洲の執筆)を発見。こんな所でお会いするとは・・・ 千葉県漢詩連盟では夏季、冬季研修会のテキストに鷲津毅堂の房総紀行詩「薄游唫草」を読み学んでいる(講師は鷲野会長)。
*薄游唫草 鷲津毅堂(一八二五~一八八三年)二十七歳の詩集。嘉永三年(一八五〇)一二月、房総へ出立し嘉永四年(一八五一)秋、江戸に戻った。その房州旅游の詩集。
毅堂は尾張(愛知県)丹波郡の人。名は宣光。明治維新後司法省書記官、司法権大書記官等を歴任。

 
 ③ じまん草餅本舗

白鬚神社から十分、ちょっと寄り道。あんこ入り草餅十個を土産として購入。(一七五〇円)香り高い生のヨモギ。帰宅後家族と美味しく戴く。しかし草餅の季語は晩春。初冬の今では季節感より食欲が優先した。

 
 ④ 白鬚橋

草餅店から墨堤通りを北へ十分、明治通りを左折すると隅田川。架かる橋が白鬚橋。橋名は東岸にある白鬚神社に因む。全長一六八mのスタイリッシュなセンターアーチ型。橋上からの東京スカイツリーは夜景がお薦めとのこと。一九三一年竣工。

 白鬚橋       白鬚橋       
江風吹止意悠悠 江風吹き止み 意悠々
銀色橋梁雅且優 銀色の橋梁 雅にして且つ優
獨佇遙望尖塔聳 独り佇み遥かに望む 尖塔の聳ゆるを
白雲紛郁碧天浮 白雲紛郁として 碧天に浮かぶ

 
⑤ 昼食
昼食はデニーズ墨堤通り店。好みのメニューとドリンクバー。飲んで食べてたっぷり一時間。このあとは恒例の柏梁体の原稿用紙が配布された。即興で提出する人、熟考して後日提出する人、「どちらでもいいですよ」という事務局の自由度の高さ!

 
 ⑥ 隅田川神社

デニーズから十分。神社の創建については不詳。源頼朝創建の言い伝え有り。古くは水神社、水神宮、浮島宮とも呼ばれ、水運業者、船宿、「水神」の名から水商売の人々にも信仰された。
隅田川を背にすると墨堤には桜並木があり、さぞかし春の季節には爛漫の景色が楽しめるだろう。

 
⑦ 木母寺(もくぼじ)

隅田川神社の近く。梅柳山墨田院木母寺(天台宗)、宗祖は伝教大師(最澄)、総本山は比叡山延暦寺。本尊は慈專大師(元三大師)、梅若丸の伝説があり能、歌舞伎、浄瑠璃、長唄、オペラ等の題材となっている。寺の名前の変遷あり。
梅(うめ)若(わか)寺→木母寺(もくぼじ)→梅若神社(明治)→木母寺(明治二十二年、一八八八年)

 木母寺       木母寺            
墨堤古柳朔風翩 墨堤の古柳 朔風に翩る
梅若悲譚今尚傳 梅若の悲譚 今尚ほ伝ふ
紺園名稱時變轉 紺園の名称 時に変転すれど
高僧經韻響黃泉 高僧の経韻 黄泉に響く

 
 ⑧ 三遊塚

ちょっと寄り道。
初代三遊亭円生(一七六八~一八三八)の追善供養と三遊派落語の隆盛を祈念して三遊亭円朝が明治二十二年(一八八九)に木母寺境内に建立。題字は幕末の三舟の一人、山岡鉄舟、裏の碑文は高橋泥舟の筆。私の娘婿(三遊亭楽生、六代目円楽の総領弟子)に代わって参詣する。

 
⑨ 梅若公園(榎本武揚像)

木母寺から十分。大正二年(一九一三)に建立。榎本武揚(たけあき)は天保七(一八三六)江戸下谷御徒町柳川横町(東京都台東区小島付近)の生まれ。旧幕臣として、箱館戦争で新政府軍と戦い、敗れて投獄されるが、維新後赦されて、文部大臣、外務大臣等政府の要職を歴任。晩年を向島の別荘で過ごす。大隈重信、渋沢栄一等が協力して像を建立。

 榎本武揚像    榎本武揚像
望南立像放威風 南を望む立像 威風を放つ
凾館戰終投獄躬 函館の戦い終はり 投獄の躬
赦免後謹登要職 赦免の後 謹んで要職に登り
私心不用只誠忠 私心用いず 只だ誠忠

 
 ⑩ 正福寺(しょうふくじ)

武揚像から5分。月光山正福寺(真言宗智山派)、慶長七年(一六〇二)開基。本尊は薬師如来。紺碧の空に九輪がまばゆい本堂である。都内最古の板碑(宝治二年)の銘あり。また「首塚地蔵」は首から上の病に効験ありと言われている。

 
 ⑪ 圓徳寺

正福寺から6分。醍醐山圓徳寺(曹洞宗)。
墨田区登録文化財の庚申塔(寛文十二年)十一月の銘)がある。

 
 ⑫ 多聞寺

圓徳寺から北へ十分。隅田山吉祥院多聞寺(真言宗智山派)。本尊に毘沙門天を祀るので文化年間(一八〇四~一八一八年)に隅田川七福神に組み込まれた。山門は木造切妻四脚門、茅葺屋根を有し、墨田区指定有形文化財。境内には六地蔵座像(区登録文化財、正徳三年~享保三年の銘あり)、阿弥陀如来石像(区指定文化財、寛文四年造立)が並んでいる。この他東京戦災で焼け爛れ炭化した木(戦災の木を保存する会)、浅草国際劇場の屋根の鉄骨(火災の熱で引きちぎれて変形)等が展示されている。世の平和を願う思いが強い寺である。

 
 

吟行会メンバーは十四時四十分に鐘ヶ淵駅に到着。吟行会の行程はここまで。万歩計に依れば一四四〇〇歩。小春日和の一日、楽しい吟行会となった。(十一月記)

  
 鐘ヶ淵駅偶成   鐘ヶ淵駅偶成

夕陽將没小寒生 夕陽将に没せんとして 小寒生ず
尋七福神今了行 七福神を尋ねて今行を了ふ
史蹟句碑詩趣富 史蹟句碑 詩趣富めば
當看再訪百花盈 当に再訪して百花盈つるを看るべし