令和元年 春季吟行会  中山法華経寺・東山魁夷記念館  
   
   










参加者の漢詩




   中山法華経寺から東山魁夷記念館へ
                               鷲野正明
 

其一 龍淵橋   其の一 龍淵橋

倚欄微響遠鐘聲  欄に倚れば微かに響く遠鐘の声
老樹洞中新綠盈  老樹洞中 新緑盈つ
欲訪龍神何處在  龍神を訪ねんと欲するも何れの処にか在る
邃溪幽境一風清  邃溪 幽境 一風清し

   
 

其二 法華經寺  其の二 法華経寺

高塔五層摩碧天  高塔五層 碧天を摩し
祖師堂畔颺香煙  祖師堂畔 香煙颺る
蒼蒼松柏鳥聲度  蒼々たる松柏 鳥声度り
數點榴花紅自然  数点の榴花 紅自ずから然ゆ
   
 

 其三 法華堂    其の三 法華堂

一僧懇説寺由來  一僧懇ろに寺の由来を説き
淨域諸堂尋共回  浄域の諸堂 尋ねて共に回る
妙法花經光悦字  妙法花経 光悦の字
近看相許小門開  近づき看るを相許し 小門を開く

   
 

 蒋介石胸像 臺座前面刻德必有隣四字
       蒋介石胸像 台座の前面徳必ず隣有りの四字を刻す

樹樹靑靑鳥語新  樹々青々鳥語新なり
清風塔畔誘幽人  清風 塔畔 幽人を誘ふ
不知四字刻何故  知らず 四字刻するは何故ぞ
有德兩邦當作隣  徳有れば両邦当に隣と作るべし

   
 

 東山魁夷記念館以白馬作風標
           東山魁夷記念館 白馬を以て風標と作(な)す

靑藍濃淡極幽玄  青藍濃淡 幽玄を極め 
湖水山林閑且妍  湖水 山林 閑且つ妍
館外仰看從畫出  館外仰ぎ看れば画より出でて
御風白馬驟晴天  風に御して白馬 晴天を驟(は)す

   
 

 贈留學生     留学生に贈る

獨帶佳花馥郁香  独り佳花馥郁の香りを帯びて
閑觀繪畫歩囘廊  閑に絵画を観て回廊を歩す
遠來日本竟何得  遠く日本に来たりて竟に何をか得たる
興趣幽玄意愈芳  興趣幽玄 意愈いよ芳し

   
       
 春季吟行 中山界隈 緑萠ゆ
                     尚堂 宮﨑三郎
 
1、正中山(しょうちゅうざん)法華経寺へ

 
令和元年早々の五月十八日(土)、空は程よく晴れ下総(しもうさ)の地はヒンヤリと気持ちよく、絶好の吟行日和。集合場所は京成線中山駅(京成船橋から上野方面へ四つ目)。ほぼ一番乗りは、事務局長のSさん、吟行会主担当のMさん、そして特別参加の中国人留学生のTさん。駅の脇の踏切越しに総門を望み、その間から仁王門を遠くにうかがい、傍らの団子屋さんの香ばしい匂いを嗅ぐと、忽ちにして雰囲気は門前町。総門のまたの名は黒門、仁王門は赤門、その宏壮な赤門を通り抜けると、一気に緑のトンネルとなった。春は、ここが桜一色の名所となるようだ。参道の両側には、小振りの寺院が多く並ぶ(実はすべて今は法華経寺の日蓮宗とは別の宗派とのこと。)また、途中には茶店もあり、筆者が半世紀前に、名物「きぬかつぎ」(里芋を茹でたり蒸したりして塩をつけ食す)を頂戴した「お休み処」も昔の姿で今もあった。いや懐かしいこと。静かな山内、ベンガラ色で高さ三十メートルの五重塔を仰ぎ見ていると、吟行担当者の手配よろしく、ガイド役のお坊さんが来られて、早速山内を一巡しながら淡々たる名調子を伺った。
    中山法華經寺  中山法華経寺
黑門直過赤門臻 黒門を直ちに過ぎて 赤門に臻(いた)る
參道如然万綠新 参道然ゆるが如く 万緑新たなり
梵唄聲微方丈裏 梵唄の声は微かなり 方丈の裏
薰風忽動掃紅塵 薫風忽ち動きて 紅塵を掃ふ
   
    2、日蓮宗の由緒正しき大本山
 
 ここは「中山法華経寺」と呼ばれることが多く、創立は鎌倉時代の一二六〇年。高僧・日蓮大聖人が最初に開いた名刹で、曾てこの大聖人が一命を救われた鬼子母神(きしぼじん)の尊像が祀られている。
 本院の最奥に祀られている「鬼子母神さま」は江戸三大鬼子母神の一神(雑司ケ谷、入谷と並び)として霊験あらたかで、「天下泰平、祈願成就、子育て」の神様として広く信仰を集めている。因みに、大行事である節分会での豆まきの掛け声では、「鬼は外」はご法度、専ら「福は内」を唱えるのだそうだ。山内はまことに広く、そこに古い歴史ある建物が多く、ツツジの花を愛でながら到ったのが「法華堂」なる堂宇で、本尊の「釈迦牟尼仏」を安置してあり、ここが一般の本堂に当たるところ。この堂宇は関東圏では最古の木造建築だとか。一同で記念写真を撮ろうとすると、有り難いことにガイド役のお坊さん、俄かに頑丈な垣柵の閂(かんぬき)を外してくれました。お陰で本阿弥光悦の名筆「妙法花經寺」(江戸時代のこの寺の呼称)の大額を庇(ひさし)に邪魔されずに拝観できた。
 多く散在する古い建物もさることながら、素晴らしいのは、大聖人に関わる重要な書物が山内に厳重に所蔵されていることだ。それらを収めた「聖教殿」なるユニークな外観の仏塔にも立ち寄った。大聖人の直筆である「観心本尊抄」(日蓮宗の根本聖典)と「立正安国論」(政治と宗教のあるべき姿をしたためたもの)は有名で、いずれも国宝となっている。

    3、「止暇斷眠・読経三昧」    有名な荒行に全身全霊
 
 ガイド役のお坊さんが、案内コースのゴールに近づく頃に、「私は荒行(あらぎょう)を二回経験しましてね」と話し始めたのは、七百年来伝わる日蓮宗独特の「大荒行」のことだ。毎年十一月一日から翌年二月十日までの百日間、午前二時に起床して、寒水行は一日七回、一日中お経を唱え、写経に勤め、睡眠は三時間、食事はお粥(かゆ)に梅干し一個とか。(なお、二月の豆まきには修行僧も登場するそうだ)
    拝鬼子母神堂  鬼子母神堂を拝す
鬼女從難救聖人 鬼女 難より聖人を救ひ
連綿千歳護黎民 連綿千歳 黎民を護る
今天堂奥祈康福 今天 堂奥康福を祈れば
叩叩鉦音勵老身 叩叩(こうこう)たる鉦音 老身を励ます
   
    4、市川市東山魁夷記念館へ
 
 鬼子母神堂にお参りし、お世話になったお坊さんにお礼を申し上げ、今回の目玉の一つである記念館へ向かった。閑静な住宅街を歩いて十分程。二十世紀の日本を代表する日本画家(平成十一年没)は、市川市で生涯の大半を過ごし、「私の戦後の代表作はすべて市川の水で描かれています」との言葉を残している。
 記念館の外観は、画伯が若き頃に留学し、東山芸術の方向性に影響を与えたと言われるドイツに想いを得た、六角塔のある西洋風で、地下一階、地上二階。丁度バラの花のシーズン、様々な色のバラが庭に咲き乱れ、海外旅行歴を誇るUさんは、「ドイツへ来たようだ」と思わず叫んだ。一階の展示室は、画伯の人生を辿る資料が中心で、二階は、ご承知のように、「緑」と「青」を主調とした独特の作品の鑑賞を主目的とし、白馬が緑の樹々に覆われた山裾の湖畔に現れる有名な「緑響く」の複製画も展示されていた。
 展示室の資料によると、画伯は、戦時中に熊本の部隊で訓練中にフト目にした阿蘇の雄大な山並みに心を打たれ、自然の美しさに開眼したのだそうで、画伯の人生が分かり易く追体験できる展示になっているのには感心した。
 蛇足ではあるが、筆者の故里は長野市。そのPRとなって恐縮ですが、善光寺のある城山公園内に「長野県信濃美術館・東山魁夷館」があることをご存じでしょうか。
画伯は、「作品を育ててくれた故郷」と呼ぶほど緑豊かな信州で取材した風景画が多い。緑で数多くの作品を寄贈したことから、常設の専門美術館が平成二年に開館した。市川の記念館と同様に、名刹の傍らに在るのは偶然でしょうが、機会がありましたら善光寺東隣の名画もご覧になられますよう心からお薦めします。
    訪東山魁夷記念館  東山魁夷記念館を訪ぬ
閑雲一片館逾幽 閑雲一片 館 逾いよ幽なり
巨匠丹靑香氣流 巨匠の丹青 香気流る
獨佇窓辺瞻碧落 独り窓辺に佇み 碧落を瞻(み)れば
圖中白馬度悠悠 図中の白馬 度りて悠悠たり
   
    5、下総中山駅へ
 
 予定コースを終えて、一同JR下総中山駅の方向へ歩いて移動し、幹事が手配してくれたレストランで吟行の疲れを癒した。朝から、お線香の香り、名画の香りを満喫し、結構な吟行であった。下見を始め万端の準備に務めてくれた森崎さんほか幹事諸氏に感謝・感謝。
 なお、疲れを癒しきれない面々は、言わば総州の西土、中山の街中の「南無妙法蓮華経」の幟(のぼり)の下、「お粥に梅干し」の荒行の話はどこへやら、駅方面へフラフラと向かったようでした。
    中山風月    中山風月
靑帘何處暮鐘収 青帘(せいれん)何れの処ぞ 暮鐘収まり 
惟見法華紅幟悠 惟だ見る 法華の紅幟(こうし)悠なるを
街巷徘徊詩酒友 街巷を徘徊す 詩酒の友
月呈姸麗好風柔 月は妍麗を呈し 好風柔らかなり