周 荘
  
 蘇州城東南30㎞にある古鎮。旧名貞豊里。春秋戦国時代・呉王の少子揺と漢の越揺君の領地で、揺城と呼ばれていた。北宋元祐元年(1086)、仏教を信奉していた周迪功が、13haの農地を寄付して全福寺を建てた。後に周迪功を記念するため周荘と呼ぶようになった。
 周荘は幽静で古朴。周りは水路がめぐり、古くからの水郷集鎮の建築様式が保存されている。町全体の60%以上の民家は明・清時代に建てられたもので、わずか0.4平方キロの小さな町に約100カ所の古い邸宅と60余りの磚彫門楼がある。元末・明初の大商人・沈万三の後裔の建てた沈庁、明初の中山王・徐達の後裔が建てた張庁は、明・清時代の邸宅の典型である。
 周荘の周りは水に囲まれ、まるで水面に浮かぶスイレンのようである。南北市河、后巷河、油車漾河、中市河は「井」の字形を呈し、河に沿って街が造られ、民家が建てられている。橋が多いのも特色で、「富安橋」「貞豊橋」「福洪橋」「通秀橋」「普慶橋」「蜆園橋」「梯雲橋」「報恩橋」「隆興橋」「永安橋」「世徳橋」「全功橋」「青龍橋」「蜆江橋」「聚宝橋」などがある。なかでも有名なのは「永安橋」と「世徳橋」で、「双橋」とも言われ、石造りのアーチ橋と石造りの梁橋からなっている。二本の河がここで合流して「十」字形をなし、二つの石橋が連なって架けられ、橋面は一方は横に、一方は縦に走り、橋の孔は一方が方形、もう一方が円形で、とてもユニークである。
 西晋の張翰、唐の詩人・劉禹錫、陸亀蒙などが住んでいた。

   
     
     
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