滄 浪 亭
   
 江南に現存する最古の庭園の一つ。五代の末年、呉越の中呉軍節度使・孫承祐の別荘だったものを、北宋の慶暦年間(1041~1048)詩人の蘇舜欽(子美。1008~1048)が買い取って亭を建て、屈原の「漁父辞」の「滄浪の水清まば~」にちなんで「滄浪亭」と命名し、「滄浪亭記」を記した。その後、興廃を繰り返し、南宋の初年、韓世忠(1069~1151)が邸宅とし大々的に拡張したが、元代に荒廃し、寺に改められた。明代に再建され、帰有光(1506~1571)が亭記を記した。清の康煕年間、現存する亭を中心とする配置に大改造して、周囲に清流をめぐらした。清流を隔てて眺めると起伏する廊閣が水に映じて美しい。面積は1ha余りで、内部は小さな山を中心としてその周囲に建物を配す。樹木が鬱蒼としげり、小徑が曲がりくねり、その傍らに竹藪がひろがり、山頂に滄浪亭がたたずむ。小山の南側に「明道堂」「五百名賢祠」「看山樓」などがあり、「藕香水榭」「聞妙香室」「瑶華境界」などがそれぞれ独自の庭園景観を形成する。他の庭園のように高い塀や壁がなく、複廊や透かし窓によって内と外が一つに融けこみ、開放的で独特の風格・雰囲気を醸し出している。
 沈復の『浮生六記』にも登場する。

     
     
     
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