王陽明の思想と詩

              平成27年2月11日

 
 国士舘大学講師  大場一央
於:市川市八幡地区ふれあい館      
 


第二十七回研修会兼新年会           
                                     薄井 隆

平成二十七年二月十一日(火・祝日)、第二十七回の研修会兼新年会が開催された。
例年の開催会場であった市川市民会館が改装工事中のため、今回は八幡地区ふれあい館での開催。 研修会の開始午前十時。まず鷲野会長から、講師の大場一央先生の紹介があった。
先生は専門は儒教(陽明学)、日本思想史で、現在は国士館大学非常勤講師をされている。
本日の演題は「王陽明の思想と詩」。「知」という概念や王陽明の思想の中核をなす「知行合一」について、難解なテーマながら色々な具体例を示して非常に分かり易く解説して戴いた。陽明学が「実践の哲学」と言われる意味の一端を窺い知ることが出来た。
詩は「泛海」、「渓水」、「啾啾吟」の三詩を挙げて、思想との関わりを絡めて詳しく読み解いて戴いた。浅学にして、王陽明は「陽明学を提唱した思想家」という程度の知識しか無かったが、軍事や施政の面で大きな功績を残した人物であったことも初めて知った。 満座の聴衆一同、大変な感銘を受けた講演であった。

 
研修内容
 
 
 
                      
                 ●受講者 感想

 
  
王陽明を聴いて(於千漢連研修会)          木村成憲
 
 
去る二月十一日(建国記念の日)、平成十七年の千漢連の新年会に先立って、午前十時より十二時迄市川八幡ふれあい館に於て、二時間に亙り、国士舘大学大場一央先生の「王陽明の思想と詩」と題するお話がありました。
 少時、朱子学に傾倒した王子(王陽明)が、数年にして挫折、”陽明の五溺”といわれる遍歴を重ねた後、進士に合格し、任官して皇帝に諫言して杖罰を受け(この場面の先生の話は講談調で面白い)、竜場に流刑となり、其処で儒教の根本義につき大悟して、「心即理」「知行合一」を説き、不惑にして官に復帰、行政・軍事に数々の能力・手腕を発揮した。という王子の経歴を聞いて「知行合一」が目の前に見えてきた思いで、大変感銘いたしました。
 そのあと、新年会の席上、大場先生が、御祖父が、第二十三師団が全滅したといわれるノモンハンの生き残りであった話をされ、又余興に軍歌二曲を歌唱されたのを聞き、生育されたご家庭の様子が窺われて、心暖まる思いがいたしました。
 さて、そこで大場先生のお話を聞いて、色々な思いが湧き起ってくるうち、私が現役時代から規範としてきたことを1つ申し上げます。渋澤栄一翁の「論語と算盤」であります。
 論語をもって自己の行動の基準とし、処世上の唯一の信条とした翁は、実際を離れた学問が無いと同時に、学問を離れた実業もまた無いといい「論語と算盤」説を唱えました。当時、渋澤翁は二松学舎の創立者である三島中洲先生と親しく、その懇請によって二松学舎舎長になっており、翁の論語講義は講義録として発刊されています。翁はこれにより、民間に「知行合一」の実業家が続々と輩出して品位の高い先覚者の出現せんことを望む、と言っています。
これより察するに、翁の論語解釈の立場は陽明学にちかいものではないかと。これは、三島中洲先生の学問が陽明学であり、先生と意気投合している翁の講義の性格は自らそうなると思われます。
私が会社生活の終りに近づいて、身の処し方を考えはじめた頃、同郷の五歳年上の会社の先輩から、一緒にやらないかとお誘いがありました。氏の信条も、渋澤翁の「論語と算盤」です。勿論二つ返事でお受け致しました。
意気投合して、知行合一で推進した仕事は、有言実行で大きな成果を上げました。その詳細は先輩の「語録」(論語も1種の語録ですよね)と「社史」に編纂、十数冊に纏めてあります。愉快な十数年でした。
会社をやめて十数年経ちましたが、人の絆は強く、今も三ヶ月に一度、先輩を中心にして当時の同志と昼食会をやって、顔を合わせてお話をかわしています。
大場先生のお話を聞いて感右の通りです。閑人の管見、拙文をお許し下さい

以上

 
陽明学での教えで、最も印象に残った言葉は、「空理空論は不安を増幅させるだけ。自分がやれる小さなことをことこつと続けていけば、道は開けてくる。悩みもいつか消え去り解決策が自然に現れる」というくだりでした。起こっていない事への不安を考えるのではなく、目の前にあるやるべき事に目を向けようと心に感じました。