越後路 吟行
  
 
            越後路吟行               薄井 隆
 
平成三十年九月十一日~十二日、数年来の念願であった越後路への吟行会を行なった。初日は漢学の里の諸橋轍次記念館と「良寛の道」を巡って弥彦温泉に泊まり、翌日は良寛ゆかりの五合庵を訪ねるというコースである。参加者は十六名。鷲野会長がNHKのテレビ収録のために急遽参加出来なくなってしまったのは誠に残念であった。

1、漢学の里 諸橋轍次記念館

上越新幹線燕三条駅からバス五十分で漢学の里に着く。晴れ上がった秋空の下、なだらかな山なみの麓に収穫を待つ田圃が黄色く広がり、清流には鮎釣りの姿も見られた。諸橋博士はこの美しい自然をこよなく愛しこんな歌を残している。「幾十多飛(いくそたび) 夢に通いし故さとの 水はうるはし山はうるはし」。
記念館は平成四年の設立。博士の生い立ちや大漢和辞典刊行の経緯などを館長から詳しく説明してもらう。博士は明治十六年にこの地に生まれ、東京高等師範学校などで教育に携わる傍ら大辞典の編纂に生涯をささげ、昭和五十七年に百歳で没した。座右の銘は論語の「行不由径(行くに径に由らず)」。これは「大道を真っ直ぐに進む。径(小道)は近道に見え変化の魅力を持つが、やがては行き詰まるものである」の意であるという。
大漢和辞典の編纂は昭和三年ころから始まり、三十余年の歳月を費やして博士七十八歳の昭和三十五年に、親字数五万、語彙数五十万を擁する全十三巻が完結した。この間には戦火による資料の焼失などの災難もあったという。なお博士はこの業績により文化勲章を受章している。
  漢學里       漢学の里
高天晴朗稻雲香 高天晴朗 稲雲香り
颯颯秋風氣爽涼 颯々たる秋風 気爽涼たり
騒客遙遙尋到處 騒客遙々 尋ね到る処
山靑水冽碩儒鄕 山青く水冽き 碩儒の郷
 

2、良寛の道

漢学の里からバスとタクシーを乗り継いで北三条に戻る。「良寛の道」は三条市内に点在する良寛像や句碑、ゆかりの場所など十二カ所を巡るコースであるが、地図が粗末で案内の標識も少なく探し訪ねるのに苦労した。地元の人に尋ねても分からない処もあった。それでもいくつかの碑を巡り歩き、この辺りを托鉢して歩いた老僧の姿を偲ぶことが出来た。

  良寛道        良寛の道
乞食佳詩毬子歌 乞食の佳詩 毬子の歌
碑前相詠夕風和 碑前に相ひ詠ずれば 夕風和す
老僧足跡猶尋歩 老僧の足跡 猶ほ尋ね歩けば
座像傾頭又語何 座像頭を傾けて 又た何をか語る
 

 今宵の泊りは弥彦温泉。「お宿だいろく」は小さいながらもなかなか趣のある宿だった。元は割烹だったというだけあって料理は美味。それに新潟の美酒とくれば旅の楽しみも更に高まるというものだ。飲むほどに自慢のカラオケや詩吟などが飛び出して一層親睦を深めた一夕であった。

3、弥彦神社

二日目は朝一番に宿から十分ほどの弥彦神社を参拝する。弥彦神社は越後国一宮、越後国開拓の祖神として崇敬されており、年間三〇〇万人の参詣者があるという。祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。創建年代は不詳だが万葉集にすでに登場している古社である。まだ参拝者も少なく、朝まだき神域は森厳の気に満ちていた。
神社の脇からロープウェイで標高六三四メートルの弥彦山に上る。山頂からは広大な越後平野が一望され稲穂が黄色く波打っていた。また佐渡ヶ島の美しい姿も望むことが出来た。

4、五合庵・分水良寛史料館

五合庵は足の便が悪く限られた時間で回るのが難しい処であるが、清水蕗山幹事が予め宿と折衝して宿のマイクロバスを出してもらえることになり、お陰で五合庵・良寛史料館・寺泊と巡って燕三条駅まで戻るという効率の良いプランを組むことが出来た。
五合庵は国上山(くがみやま)の山中奥深く、鬱蒼とした深林に囲まれて建っていた。この庵は元々良寛のために建てられたのではなく、江戸時代初期に国上寺(こくじょうじ)の再建に功績のあった客僧に与えられたもので、五合庵の名は一日当たり米五合を供されたことに依る。良寛は諸国行脚の旅から帰郷した後、ここに二十年ほど住まいしたという。
現在の建物は大正三年に再建されたものである。内部を見せるためだろうか二面は開け放たれ、中には仏壇のような簡単な棚と小机があるだけの、誠に質素な庵であった。「寄せ書き帳」を見ると全国各地から訪れており、良寛人気の高さが伺われた。傍らには悠々自適の境地を詠んだ「焚くほどは風がもてくる落葉かな」の句碑があった。
分水良寛史料館では館長の案内で良寛の遺墨や貞心尼の書状などを拝観した。

  五合庵       五合庵
嫋嫋山風涼自生 嫋々たる山風 涼自ら生じ
樹梢高處半天明 樹梢高き処 半天明らかなり
微聞鳥語深林裏 微かに鳥語を聞く 深林の裏
方丈茅庵秋氣淸 方丈の茅庵 秋気清し
 

 この後は寺泊の「魚の市場通り」で新鮮な海の幸の昼飯をとってから燕三条駅に戻り、「地場産業振興センター」で夫々お目当ての刃物を物色する。これで予定通りに全ての行程を終え帰途につく。上野着十七時。和漢の見どころを巡った実り多く楽しい二日間であった。

参加者漢詩          拍梁体  写 真