鷲野正明 中級のための漢詩創作
 
ーさまよえる中級人にむけて  其の3ー
                                          令和4年2月5日~
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 63「一笛風」(一(いっ)笛(てき)の風)
 「一笛」は、一つの笛、また一つの笛の音です。

では「一笛」の「風」とはどのような風でしょうか?

漢字と漢字が結びつくとき、その結びつきの説明を省いて一つの言葉となることが多くあります。
例えば「林風(りんぷう)」は林を渡ってくる風、林を渡る風、という意味ですが、「渡ってくる」とか「渡る」という説明部分は省かれています。
「荷風」は、荷(ハスの花)を渡ってくる風、荷(ハスの花)を渡る風、という意味ですが、やはり説明部分の「渡ってくる」とか「渡る」は省かれます。

漢語・詩語は簡潔を旨とします。「風」が吹いたり渡ったりすることは分かり切っていますから、省略するのでしょう。この、説明的な語を省略した言葉については、拙著『はじめての漢詩創作』(白帝社)93頁も合わせてご覧ください。

さて、「一笛」と「風」の結びつきはどのようになるでしょうか。まさか、風に吹き飛ばされて「笛の本体」が飛んでくる、ではないでしょうから、「笛の音」を伝える風、ということになります。
「一」がありますから、「一節の笛の音を伝える微かな風」となります。

杜牧の「宣州開元寺の水閣に題す」、七律の頸聯
  深秋簾幕千家雨  深秋 簾幕 千家の雨
  落日楼台一笛風  落日 楼台 一笛の風

とあります。
深まりゆく秋、簾をおろした無数の家々に冷たい雨が降り、沈みゆく夕陽のなか、遠くの楼台から笛の一ふしを伝えて微かに風が吹いてくる、と。

 「一笛風」、自作の詩に使ってみたいですね。
 64「一竿風月」(一竿の風月

 「一」と「風」を含む言葉に、「一竿の風月」もあります。一竿の風月、さて何でしょうか。

「一竿」は、一本のさお。一本の釣り竿です。「一竿の竹」と言うこともあります。
釣りと言えば、俗世を逃れた隠者を連想します。「風月」は風と月、清風と明月です。
自然の美しい景色、そして自然の景色を楽しむことを言います

詩語には過去の詩の、詩的な意味合いが加味されますから、古典や詩をたくさん読むことが大切です。

「一竿」と「風月」が結びついた「一竿の風月」は「一本の釣り竿に世事を忘れて風月を楽しむ」という意味です。

陸游の「城に入り郡圃に至る」
  九陌鶯花娯病眼  九陌の鶯花 病眼を娯(たの)しましめ
  一竿風月属閑身  一竿の風月 閑身に属す

また「感旧」
  回首壮遊真昨夢  首(こうべ)を回らせば壮遊は真(まこと)に昨(きのう)の夢のごとく
  一竿風月老南湖  一竿の風月 南湖に老ゆ

とあります。釣りをしない人は使いにくい言葉ですが、隠者になりきって詠うことは可能です。

「一竿の竹」には「一竿竹不換簪裾」という有名な句もあります。

黄滔の「巌陵釣臺
  終向煙霞作野夫  終(つい)に煙(えん)霞(か)に向(お)いて野(や)夫(ふ)と作(な)り
  一竿竹不換簪裾  一竿の竹 簪(しん)裾(きょ)に換(か)へず

 一竿風月の楽しみを士大夫の位と取り替えることなどしない、と、仕官を断って風月を楽しむことを言います。
「簪裾」の「簪」はかんざし。役人は、帽子をかぶり簪でとめていました。
杜甫が「渾て簪に勝えざらんと欲す」(春望)と言った「簪」です。
「裾」は衣服のすそ、または前えり、を言います。衣服の立派なことを「裾(きょ)裾(きょ)」とも言います。
「簪裾」で、大夫の服を表します
  65 「一」は「ひとつ」だけ?

64の「一笛」、65の「一竿」は、文字通り「ひとつ」という意味ですが、それ以外の「一」もあります。
『新字源』(角川書店)の「一」を参考にして主なものを挙げると、

「一」 
①ひとつ、ひとつの
②ひとたび
③たった一つ。「一怒」
④はじめ。「第一」
⑤ひとつに合わせる。「統一」
⑥おなじ。「一様」
⑦ひとしい。「均一」
⑧いっしょ
⑨みな、すべて
⑩もっぱら。「専一」
⑪まこと。「誠一」
⑫もし、ひとたび。
⑬あるいは。一方。
⑭わずか。「一握」
⑮いつに。
⑯いったい、なんと(語勢を強める)

「一」は『漢和辞典』の一番最初にあります。
こんなにたくさんの意味があるのですから、一々調べないとつい間違うこともあるでしょう。
一たび閑を得たら、漢和辞典を一心に読むもよし、一過するのもよし、漢和辞典を友としない手はありません。持つべきものは友と漢和辞典!

 ついでに「一体(體)」を見てみると、次のようにあります。
 
一体
 
 ①身体の一部。手・足など
 ②同じからだ。一つのからだ。はなれられない緊密な関係にあること。
 ③同類であること。
 ④一様に。同様に。
 ⑤他と別の一つの体裁。
 ⑥(日本語としてのみ用いるもの)全体的にいって。おしなべて。

なるほど。勉強になります。

では問題です。
 「一岸」「一窓」はどういう意味でしょう。

『新字源』(角川書店)にはありません。これは、この語を使っている詩を読み、前後の流れから意味を決定しないといけません。

次回に。
  66 「一岸」

杜牧の「秋浦途中」に次のようにあります。
  蕭蕭山路窮秋雨  蕭蕭たり 山路 窮秋の雨
  淅淅溪風一岸蒲  淅淅たり 渓風 一岸の蒲

「蕭蕭」は、①ものさびしいさま。
      ②風や雨のさびしいさま。
       ③のどかなさま。
ここは、「窮秋の雨」と「雨」があるので、わびしく降る雨の音。「瀟瀟」とも書きます。
「窮秋」は、晩秋の九月。「窮」は尽きるの意。
「淅淅」は、①風の音。「淅瀝」も同じ意味です。
       ②鈴などの音。
ここは、「渓風」とあるので、風が草木を揺らして立てる音です。

「蕭蕭」「淅淅」などの擬音語をたくさん知っていると、作詩に役立ちます。

 さて、「一岸の蒲」とは、「一つの岸」の蒲(ガマ)でしょうか。「山路」「渓風」と広い範囲を詠いっていますから、岸辺一帯の蒲(ガマ)、と取る方がいいいでしょう。つまり「一」は「全」「満」の意味になります。

晩秋の山道にものさびしくしとしと冷たい雨が降り、谷間を渡る風は岸辺の蒲(ガマ)の葉をざわざわと揺らしている。
―音の効果でわびしさが増します。
  67 「一窓」

 また杜牧の詩を例に見ましょう。「秋感」
  金風萬里思何盡  金風万里 思い何ぞ尽きん
  玉樹一窓秋影寒  玉樹一窓 秋影寒し
  獨掩柴門明月下  独り柴門を掩う 明月の下
  涙流香袂倚欄干  涙香袂に流れて欄干に倚る
 
題名の「秋感」は「秋思」と同じです。
詩の主人公は結句に「涙香袂に流れて欄干に倚る」とあるので女性で、転句で「独り柴門を掩う」とあるので、夫がその場にいないことが分かります。
さらに起句で「金風万里思い何ぞ尽きん」とあれば、李白の「子夜呉歌」其の三をおのずから思い起こし、夫は辺境に出征していることが想像されます。
  長安一片月  長安 一片の月
  萬戸擣衣聲  万戸 衣を擣(う)つの声
  秋風吹不盡  秋風 吹いて尽きず
  総是玉關情  総て是れ玉関の情
  何時平胡虜  何れの時か胡虜を平らげ
  良人罷遠征  良人遠征を罷めん

 李白の「一片の月」は、一つの月です。
が、その一つの月の皓々とした光が、万戸ある長安のまち全体を照らしています。「一」と「万」が効いています。

杜牧の詩では、「金」と「玉」が対応し、「万」と「一」が対応しています。秋の冷たい風は夫のいる西北の万里かなたから吹いてきます。そして窓には、寒そうに揺れる木々の影が見えます。
「窓」を一つと解釈すると、金風万里が活きません。
どの窓にも、窓いっぱいに、寒そうに木々が揺れている、と解釈するとよいようです。
  68 一つの詩のなかで「金風」と「秋」は使えるか?「一窓」は浮いていないか?

作詩の受講生から、よく、「金風」と言って、また「秋」と言うのは、秋を二度言うことなので重出ではないか、と質問を受けます。

答えは、67「秋感」の例がありますから、秋風を表す「金風」と「秋」が一つの詩のなかに使われていても特に問題はありません。ただし、この詩のように作れば、という条件つきですが。

また、たとえば誰かが「玉樹一窓秋影寒」と作句したとすると、「一窓」が上の2字「玉樹」と下の3字「秋影寒」の連絡を阻害している、と言う人がいるかもしれません。「玉樹搖搖秋影寒」と先生が訂正するかもしれません。
確かにこの句だけですと「一窓」が浮いているように見えます。が、前後の句との関連を考えると、大切な働きをもっていることが分かります。

杜牧の詩の場合は、「一窓」が「万戸」と対になっていること、また後半で欄干に寄り添うことが詠われますから、「一窓」と言うことによって、前半は部屋の中にいることが分かります。寂しい風の音を聴き、寒そうに揺れる木々を見て、そこで夫のことが心配になり、遠い玉門関のあたりを見ようと欄干のところまで行き、欄干にもたれて遠くを眺めるのです。
「一窓」、窓いっぱいの寒々とした木々をみて、欄干のところまで行く、という動きのなかに、こころの動きが溶け込んでいるのです。「一窓」は、浮いているどころか、とても重要な働きをしていることが分かります。
「万里」かなたから来る風によって、「一窓」の「一」が、夫への「一途な思い」に繋がるのです。

作詩の祭、一見疑問手のようでありながら、全体の構成から見ると、逆に妙手であるという例が多々あります。詩は全体を見ることが大事です。
言葉がすべて繋がって活きること、これが作詩の鉄則です。


  69 「一孤舟」は「一」と「孤(ひとつ)」と「イチ」が重なるのでは?

「孤舟」は、一艘の舟。そこで「一」と「孤舟」と、「イチ」が重なるのではないか、という疑問です。

「一舟」と「孤舟」、もちろん「一」と「孤」の平仄が違います。が、「一舟」と「孤舟」とで、ニュアンスの違いはあるのでしょうか。

用例を見てみましょう。
「一舟」の例から。王昌齢の「竇七を送る」
   晴江月色傍林秋  晴江 月色 林秋に傍ひ
  波上熒熒望一舟  波上熒熒 一舟を望む白居易の「峽に入り巴東に次(やど)る」
  萬里王程三峽外  万里の王程 三峡の外
  百年生計一舟中  百年の生計 一舟の中

 王昌齢の詩は、月光に照らされてキラキラ輝く波の上を竇七を乗せた一艘の舟が遠ざかっていきます。作者はそれを見送っています。
白居易の詩は、人生を一艘の舟の中で、隠者のように過ごすのだ、と言います。

「孤舟」はどうでしょうか。杜甫の「岳陽楼に登る」
  親朋無一字  親朋一字無く
  老病有孤舟  老病孤舟有り

 許渾の「七里灘
 
  天晩日沈沈  天晩れて日沈沈
  孤舟繋柳陰  孤舟 柳陰に繋ぐ

張謂の「杜侍御より貢物を送られ戯れに詩を贈る」
  疲馬山中愁日晩  疲馬 山中 日の晩(く)るるを愁へ
  孤舟江上畏春寒  孤舟 江上 春の寒きを畏(おそ)る

杜甫は、親戚や親友から一字の手紙もこない、老いて病んでいる自分には「孤舟」があるだけだと言います。頼りになるのは、一艘の舟だけ、という孤独を強調しています。
許渾も、夕暮れ時、柳の木陰に舟を係留します。孤独でさびしい、という感じです。張謂も夕暮れで寒いと言っています。
作者の寂寥感、孤独感が滲みます。

数例ですが、「一舟」はただ一艘の舟、というのに対して、「孤舟」は作者の孤独や寂寥を映して言う一艘の舟、ということが分かります。
 
つまり「一孤舟」は、「一」と「孤」の「イチ」は重ならない、ということです。

  70 「一孤舟」は作者の思いのこもった重い言葉

 「一舟」と「孤舟」の比較から、「一舟」は単に一艘の舟、と言うのに対し、「孤舟」は作者の思いのこもった重い言葉であることが分かりました。
一孤舟」の「一」と「孤(ひとつ)」は「イチ」が重なることなく、かえって「一孤舟」と言うことによって、「一」の意味合いが強まり、作者の「孤」が闡明になります

杜牧の「新定途中」
   無端偶效張文紀  端無くも偶たま效(なら)ふ張文紀
  下杜鄕園別五秋  下杜の郷園 別(わか)るること五秋
  重過江南更千里  重ねて江南を過ぎて更に千里
  萬山深處一孤舟  万山深き処 一孤舟

 はからずも張文紀のような剛直さをまねたため、朝廷を追われ、下杜のふる里を離れて五年にもなった。そしてこのたび、江南の地を過ぎて、さらに千里も南へ行くことになった。幾重にも重なる山々の深い狭間を、一艘の小舟に揺られながら。

「一孤舟」は「一艘の小舟」と訳しますが、用例から見ると「一孤舟」という言葉には作者の深い絶望と孤独、寂寥の思いがこもっています。

前回を振り返れば、杜甫は
  親朋無一字  親朋一字無く
  老病有孤舟  老病孤舟有り

と言っていました。
老いて病気がちな身には、孤独を乗せる舟が一つあるだけ、と。重い言葉ですね。私たちは軽々に「孤舟」や「一孤舟」は使えない、ということでもあります。