1 さまよえる「中級」人 | |||||
作詩には幾つかの階梯があります。 作詩の門を敲いて平仄押韻などの詩の規則を学ぶのが、文字通り「入門」。 学びながら一句作り、二句作り、一首作り、と、いつしか「初級」へと進み、なんとか一首作れるようになります。 規則通りに作れるようになると「初級」からいよいよ「中級」へと進みます。ここまでは約束事を守ることに専念しますから順調に進みます。 が、「中級」になるとなかなか上達しません。 「中級」では、独り立ちし、自分の責任で詩を作らなければなりません。 そこで、
と迷うことになります。一生懸命作った詩が批評会でいろいろ言われると、ムキになって弁明したり、長々と説明したりします。時には初級に近い詩を作ったり、時には目を見張るようなすばらしい作品を作ったりと、一定しません。 「上級」を、自分の作品の瑕疵(かし)に自分で気づき、自分で推敲して高水準の詩を高確率で作れる、と定義するなら、「中級」は、初級に近い中級から、上級に近い中級までさまざまあることになり、しかもこの時期が結構長く続きます。この頃、作詩は自分に合っていないのではないか、センスがないからもうだめだ、などと弱気になったりします。勉強会も休もうか、止めようか、などと思ったりもします。中級はじつに悩みが多いのです。 では、どうしたら上級に進むことができるのか、少し考えてみたいと思います。 |
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2 漢詩漢文の基本をしっかり学ぶ | |||||
漢詩は、現在の中国大陸で興亡した漢や唐、宋などの王朝で流行し洗練されたた文学形式です。使用する言葉も、それらの時代に継承洗練されたものを踏襲することが原則です。漢詩は、外国の古典語を使う外国の詩であることを、まず、あらためて認識しておきたいと思います。 日本では長く漢字を使い、作詩の伝統もあり、和風の漢詩も多く作られていますから、漢詩創作には入りやすいのですが、日本語の感覚で作詩すると上級へはなかなか行けないのです。 初級から中級レベルになった人は、難しい規則をクリアーしたので、なんでもすぐに漢詩で詠えると思い、ともする漢字を自己流に解釈したり、勝手に使い、あるいは普段何気なく使っている意味で作詩したり、漢詩漢文の句法文法を無視したりすることが多々あります。 作詩の上達には、遠回りのようですが、漢詩漢文の基本、つまり原文を正確に訓読し、内容を理解できることが何よりも大切です。中国の古典詩を作る以上、それは常識の範囲内と覚悟した方がよいでしょう。また、私たちは現代中国語で漢詩を創るのではありません。現代中国語の音(オン)で押韻するなら、現代詩として扱ってください。 さて、次の詩は初級の人の詩です。
内容はよく分かります。が、どうも変ですよね。どこがどうおかしいですか。 |
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3 規則を守る | |||||
前回の詩でおかしいところ、分かりましたか。 まず訓読です。 題名「訪ねる」は「訪ぬ」。 第二句、「渺茫として望む」と読んでいましたが、こう読むには「渺茫望」の語順でないといけません。 ここは「望み渺茫」と 読みます。 第三句「今に変わらず」は「今も変わらず」がよいでしょう。 規則はどうでしょう。 第四句の「情」は「庚韻」ですが「亡」「茫」は「陽韻」ですから押韻されていません。 また、「山」の字が三回使われています。 第一句の「堂」が冒韻になっています。「望」は平ですと「陽韻」で、冒韻になりますが、平仄両用ですから許されます。 ことばの使い方はどうでしょうか。 第二句、「束稲山」(たばしねやま)は固有名詞ですが、「束」や「稲」の字面が詩の中で生きるなら使ってもいいのですが、そうでないなら使わない方がよいでしょう。 構成・内容は、 第三句、「悠久山河」「不変」が転換の軸になりますから、前半で人の世の空しさ、はかなさ、を詠っておく必要があります。しかし、第一句のように「興亡を見る」と言ってしまっては詩の深みが生まれません。 第四句の「感慨」は作者の感慨なのか「古人」の感慨なのかはっきりしません。作者の感慨としたら、どのような「感慨」かが分かるように「詠う」必要があります。 また、「古人の情」がどうような「情」なのかも分かりません。 何となく分かるけれども、実はよく分からない、という詩です。 中級の人でも固有名詞を安易に使ったり、推敲するうちに押韻していなかったり、平仄が合わなかったり、冒韻したり、とうっかりすることが多いですから、初級では仕方ないでしょう。こうしたミスを自分で気づき、推敲できれば限りなく上級に近づくことができます。 さて、みなさんなら、どう推敲しますか? |
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4 推敲(添削)の実例 | |||||
推敲では、規則を確認しながら、何をどう詠うか、に留意します。 「訪平泉」は、人の世のはかなさと山河の悠久を対比しながら、碑を見て古人を偲ぶ、という内容です。どのような碑だったのでしょうか。西行の碑でしょうか。また作者は平泉のどこにいるのでしょうか。とにかく「束稲山」(たばしねやま)の見えるところには行ったようです。作者はたくさんの情報を得ているわけですが、読者にわかるようにその情報を効果的に詠いこまないといけません。風景を具体的に描く、具象化することも大切です。 北上川を隔てて束稲山の見える写真をどこかで見たことがあります。束稲山と言えば西行の歌碑がありますからその碑を見たことにします。碑に刻まれているのは次の歌です。 きゝもせず束稲(たわしね)山のさくら花 よし野のほかにかゝるべしとは 『山家集』雑の部、1442番の歌で「陸奥(みち)の国に、平泉(ひらいづみ)に向(むか)ひて、束稲(たわしね)と申す山の侍(はべる)に、異(こと)木は少きやうに、桜の限り見えて、花の咲きたりけるを見てよめる」と詞書きがあります(久保田淳・吉野朋美校注『西行全歌集』岩波文庫)。 今日では吉野山のように桜は咲くのでしょうか? 漢詩の添削は以下のように、前半に山河のようすを、後半は桜を詠ってみました。韻は「陽韻」です。
「束稲」を言うために第一句で「田」を詠いました。 懐古の情を詠う詩ですから、西行の歌をふまえて、吉野山のような満目の桜はいまどこにあるのだろうか、としてみました。 |
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5 観察力と感受性を養う | |||||
吟行会に参加し、あるいは旅行をしたあとで、いざ詩を作ろうと思うとどんな景色だったか、景色の細かいところはどうだったか、よく見ておけばよかったと思うことがよくあります。そこでデジタルカメラで何でも撮しとることにしています。辺りをキョロキョロ見回し、写真に撮っておいて、詩を作るときに写真を見ながら行程を確認し、歴史を調べたりします。 おもしろいことに、写真は自分の気に入ったところしか撮っていません。そして気に入ったところが詩になります。同じ場所に行っても人によって写真の撮り方も、詩の作り方も違います。個性がそういうところに出るのです。逆に言えば、個性を出すために、人の見ていないところをいかに多く見るか、人一倍好奇心をもって細かく見たか、が作詩にプラスになります。 漢詩を読んで勉強するときは、景色を目の前に見るかのように思い浮かべ、作者と一体となるように読みます。詩は作者の感動やおもいを共有するものですから、「切実」に読むことが大切です。宋学(朱子学)を大成した朱熹も、読書は「切実」にと言っています。「切実」とは、我が身に引き当てて読むことです。そういう読み方をしていれば、感受性も豊かになってゆくと思います。 また、詩を読みながら「風景」がどう描かれているか、言葉の選び方・言葉の結びつき、句と句の流れと全体の構成を学びます。 王翰の有名な「涼州詞」で考えてみましょう。今回は詩だけを挙げておきます。
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6 「風景」の描き方 | |||||
王翰の「涼州詞」の口語訳は以下のようになります。
少し詳しく見てみます。 この詩は映画のカメラワークを彷彿とさせます。 一句目は美味しそうな葡萄酒が夜光の杯になみなみ注がれる場面。手元だけがクローズアップされます。葡萄酒も夜光の杯も当時は高価なものですから、映画の鑑賞者、詩の読者はそこでまず意表を突かれます。 第二句目ではカメラを少し引いて、音楽とともに、馬上で琵琶を弾くようすが映し出されます。なんと華やかな宴会でしょう。ついつい高価な葡萄の美酒を何杯も飲んでしまいます。 しかし三句目では、カメラをさらに引いて、殺伐とした沙漠が映し出されます。景色はより広角に、沙漠に酔って寝転がっている人びとが映し出されます。「沙場」は、当時は戦場です。てっきり華やかな宴会は宮中かどこかで催されているかと思ったのに、戦場だったのか。 そして第四句。「昔から戦争に出かけていって帰ってきた者はいないのだ」、と。「明日は戦場に赴き、もう帰ってくることもないだろう。今日は最後の宴会」ということだったのです。 あっと驚く展開で、「古来 征戦 幾人か回る」が胸にグッと突き刺さるのです。 手元の酒を注ぐシーンからだんだんと広い風景を映す、〈小〉→〈大〉の手法、そのなかで、華やかな宴会から殺伐とした沙漠、〈華麗〉→〈殺伐〉という内容を盛り込んでいます。そして最後に決めの句、「古来征戦幾人か回る」を置いているのです。 |
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7 風景が見えるように | |||||
名作は、言葉の選択に無駄がなく、言葉と言葉の結びつきが強く、前の句から後の句への流れがスムーズで、全体の構成も揺るぎなくできています。王翰の「涼州詞」では「古来 征戦 幾人か回る」と、ズバリ言っていますから、作者の「おもい」はすぐに分かります。風景も、目の前に見るかのように、音楽が聞こえてくるかのように、具体的に描かれています。 漢詩を作る人は、ともすると王翰の「涼州詞」のような名句を作らなければならないとか、何か政治的なことを言わなければいけない、などと思うことが多いようですが、そうではありません。普段の何気ない風景や状況を詠い、詩人の「おもい」がじんわりと伝わってくるように詠う詩でもいいのです。その時も、風景や状況が目の前に見えるよう具体的に描写することが大切です。 具体的に詩を見てみましょう。南宋の范成大の作品です。范成大には隠棲した石湖(蘇州市)の風景を四季折々に詠った「四時田園雑興」という六〇首の詩があります。そのうちの初夏の詩です。
黄色に熟した梅の実、大きくなっている杏の実、真っ白な麦の花、ところどころに咲き残っている菜の花。人のいない農家の庭先にはトンボやチョウチョウが飛び交っています。情景が目の前に見えます。詩人が見た風景はもっと広いはずですが、広い田園風景の「余分」なところは切り捨て、植物と昆虫だけにしぼり、それによってのどかな田園の風景を詠っています。 自分の詩にする、つまり自分の「おもい」を伝えるためには、自分の「おもい」によって風景を切り取る、ということです。具体的に描写すれば、作者と読者が一つのイメージを共有でき、作者の「おもい」も伝わりやすくなります。 |
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8 テーマにそって「ことば」を選ぶ | |||||
名作は訓読しても流れがスムーズで、意味もスッと通ります。何度読んでも飽きることなく、読むたびに新たな感動を覚えます。 私たちの詩はどうでしょうか。訓読できない、意味が通らない、自分の行動を報告したり、ただ感想を述べたり、見たことを羅列したり・・・。それがどうしたの? 何に感動したの? と尋ねたくなるものが多くあります。 次の詩はどうでしょうか。詩の規則は守られています。
初冠雪した富士山を見て感動し、それを詠いたかったのでしょう。が、いろいろ言い過ぎて感動が伝わってきません。第一句の「白雲」はあとで富士山の初冠雪を詠い「白」を連想させますから、ここで白を言ってはいけません。第二句の「青山」もあとで「富士山」の「山」を言うのに邪魔になります。第三句でなぜトンボなのか、よくわかりません。富士山の初冠雪を言うのに「西風」「紅葉」「野色」「蜻蜓」が本当に必要かどうか、よく考えないといけません。 作詩で重要なのは、〔言いたいこと・伝えたいこと=テーマ〕を詠う、ということです。そのために必要な言葉を選び、余計な言葉は棄てる。その言葉は本当にその場所に必要なの? なぜ必要なの? と自問自答してみてください。 A氏の詩を添削してみます。
前半は寒風が吹いて木々が紅葉し、またその風で葉がたくさん散ってしまったことを言います。葉が落ちたので空が広く見えます。が、このことは言外にあり、後半の描写とあわせて自ずから分かることになります。後半は鳥の飛翔によって視線を上に誘い、その先に冠雪した富士山がある、と。これでテーマがはっきりしました。前半では落ちた葉を見ていたので、上を見るために鳥の鳴き声と、その声につられて上を見た、という流れが必要になります。季節がら蝶蝶がいるかどうか分かりませんが、蝶蝶のように地面近くを飛ぶ昆虫だったらそれほど上は見ません。鳥ならば、木には鳥がいますから、啼いて空を飛んだときに、その方向を見るのはちっとも不自然ではありません。 |
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9 何を伝えたいの? | |||||
身の回りは詩材に溢れています。その何に・どこに詩を感じるか、それをどう詠うか、がセンスの見せ所です。作詩を敬遠する人は「センスがないから」とよく言いますが、詩を作れば作るほどセンスが磨かれます。たくさん作り、他人の批評(意見)を活かすようにするとよいでしょう。他人の批評(意見)を素直に聴けない人は上達が遅いようです。聞いても分からないときは、良薬と思って心にとめておくことです。自己満足して、聴く耳をもたない人もいます。それは困りますね。 次の詩は、それでどうしましたか? と聞きたくなります。
「清梵」「紺園」はともに寺のことで重複、 「幽室」「静か」と言う必要があるかどうか。 その前の四字「先拝仏堂」からのつながり、また次の第四句へつながるかどうか。 そう自問してみると、「幽室静」はとくに無くても済みそうです。 「松」と「梅」が離れすぎています。松があった、梅が咲いて鶯が啼いていた、というのではただの報告です。松と梅をなんとか絡めて詠いたい。そうでなければわざわざ詩の中で言う必要はないのです。 「塵胸を洗う」は、すでに第一句・二句目の描写で分かっていますから、敢えて言う必要はありません。 次のようにしてはどうでしょうか。
原作の「洗塵胸」はいわば自分の気持ちを説明する表現です。第四句で自分の気持ちを説明すると、たいがいつまらない詩になります。第四句の「興無涯」(興涯無し)も同様です。また「如~」(~の如し)も説明ですから、第四句に使うときにはよほど気の利いた比喩でなければ使わないほうがよいでしょう。第四句は、具体的に風景や情景が見えるように、余韻が残るようにします。 上の添削詩(ほとんど代作詩ですが)の「香甚だ濃やかなり」は、お寺ですからお香のかおり、ということもありますが、あとで梅を出す伏線です。 「枝雪を積む」は白い梅がたくさん咲いていることです。出だしに「春風習々」、春風がそよそよ吹いている、と言っておきましたから、「雪」とあると、なんだこれは、ということになります。そう思わせるのが「転句」の働きです。 そして第四句で「梅花的皪」と「答え」を出し、寺にはつきものの松によりそっている、とまとめました。緑の松と白い梅とが結びつきました。 |
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10 実景を詠ってこそ感動が伝わる | |||||
詩は「おもい」を「詠う」ものです。感動の説明や行動の報告では詩になりません。詩は、心を凝らし、「おもい」をより純粋にし、「言いたいこと・伝えたいこと」を明らかにし、それを「詠」うのです。推敲の過程で「言いたいこと・伝えたいこと」が見えてくることも多々あります。無駄のない「ことば」を選び、無駄のないように全体を構成し、作者の見た景物が読者の心に映るように、また、作者の感動が読者の心にしみ入るように詠う。そのために、実景を具体的に描写することが大切になります。名作を読むと、風景が目の前に見えてきます。 それです。 感動を呼ぶ表現は、単純で素朴です。物知り顔で難しい言葉を連ねる人がいますが、そんな詩は、つまりません。やさしい言葉で分かりやすく表現できます。 宋の周紫芝は、その著『竹坡詩話』で、次のように言っています。
杜甫の句の「夜深くして殿突兀たり、風鈴 金?鐺たり」は「大雲寺賛公房」が出典です。「両辺山木合し、終日子規啼く」は「子規」です。どちらの句も、実際の景物に即してなんらの飾りも衒いもなく、風景そのものを単純なまでに素朴に言っています。 さまよえる中級人は、概して風景描写が粗略です。風景をじっくり見て、まずスケッチするように言ってみる、そして平仄が合うように言葉を吟味してみる、どう言ってよいか分からないときには漢詩の名作をひもといてみる。この風景を言ってみたいな、という風景は、たいがい先人が言っています。それを参考にして表現を覚えていけば、表現の幅が広がります。 「実景」とここで言うのは、実際に自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の鼻で匂いをかぎ、自分の肌で感じたことです。自分の体験した実際の景物です。それは過去の体験でもかまいません。テレビのニュースなどで見た政治的なことや社会的なこと、事件などを扱っても臨場感がでず、詩は単なる報告や説明で終わっていまします。初級~中級の人は、そういうものを詠いたがる人が多いようですが、短い七言絶句では避けてください。政治・社会・事件を詠いたいならさらに勉強して「古体詩」で詠ってください。 誰かの心の奥底にしみこみ、ふとしたとき思い出される、そんな句ができるといいですね。 |
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11 視線がぶれないように 句中の断絶(1) | |||||
句のなかで「言葉がつながる」ことを少し考えてみましょう。逆に言えば、句中の断絶です。T氏が次のように起句と承句を作りました。
またA氏が次のような起句・承句を作りました。承句は平仄の規則に合っていません。
幽人が暑いさかりに「扁舟を放ち」、魚が「水面で?剌」としているその「江上で遊」んだ、ということのようです。分からないことはないのですが、「水面?剌」と「江上に遊ぶ」がうまくつながりません。上の四字の主語が魚で、下の三字は幽人が主語だからです。もし承句の主語がみな魚だとすると、「水面?剌」と「江上」が意味的に重なり、すっきりしません。起句から承句への流れは、幽人が「扁舟を放ち」「江上に遊」んだ、ということですから、魚が主語となる「水面潑剌」が起句承句の流れをさまたげることになります。 漢詩は不思議なことに、思い悩んでいると、そこにピッタリ合う平仄の言葉と出会ったり、ピッタリ填る韻目や韻字に行き着いたりします。推敲を重ねてぜひ体験してください。 下の句、平仄を合わせ、主語が一つになるように、
句を作るとき、風景描写なら風景描写で統一する、一句の中で主語が変わらないようにする、そうすれば句意が通ります。起句と承句は、詠い起こしと承けですから、流れがとどこおらないようにすることが大切です。 |
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12 句中の断絶(二) | |||||
「句中の断絶」でよく知られるのは、宋の黄庭堅の「夜発分寧寄杜澗叟」(夜分寧を発す 杜澗叟に寄す)です。起句・承句は次のようになっています。
しかし、第一句の断絶は、言葉の象徴性・暗示性をうまく利用しています。「陽関曲」は別れの歌ですから別れの悲しみを、「水東流」は過ぎ去ってかえることのない時の流れを暗示しますから、「陽関一曲水東流」で尽きることのない別れの悲しみをいうことになります。断絶があって分かりにくいと言いながらも、永遠に尽きない別れの悲しみが詠われているのです。 別れの「陽関曲」が一節唱われ、川の水が東へと流れている(別れの悲しみは尽きない)。旌陽山のふもと、漁り火を点した釣り船が一つポツンと浮かんでいる(それはまるで孤独な私のよう)。 作者の心は旅愁に満たされています。そこで後半は次のように詠います。
最後まで読むと、前半の断絶のある言葉使いが、逆に別れの情景を時間と空間のなかで立体的に描いていることに気づきます。旅愁を暗示し、孤独を連想する「一」を二度も使い、ポツン・ポツン・ポツンと名詞を並べ、言葉のリズムから読み手に別れの悲しみを印象づけます。断絶は詩全体のなかで考えないといけない、ということも分かります。 私たちがこういう詩を作ると、同字重複だ、言葉がつながらない、句中に断絶がある、詩は自分のことを詠うものだから「我」は使わない、とうるさく言われます。ですから、最初から黄庭堅を学んではいけない。これは最初から和風の詩を作ってはいけない、というのと同じです。しっかり基本に忠実な詩を作り、自在に「おもい」が詠えるようになって初めて、句の変化を求めたり、「和」の味わいを添えたりできるのです。 なお上の詩の「人」は自分、「我」のことです。私はいつものように酔っているだけだが、川いっぱいに吹く風と照る月が私に替わって愁えてくれている、というのです。平静を装っていても悲しくて悲しくてたまらない。だから、「我」も「人」も必要なのです。「我」は二度使えませんから、客観的に「人」と表現したのですが、「人」と言うことによって詩の普遍性が生まれました。なお、「我」も、よほどのことでない限り、詩では使いません。詩は自分のことを詠うものだからです。 |
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13 固有名詞は使わない | |||||
言葉が見つからないとき、固有名詞を詩のなかで使用することがよくあります。平仄に合う固有名詞を使えば、簡単に句ができるからです。が、固有名詞は原則「詩中で使わない」と肝に銘じてください。固有名詞は、インパクトが強く、他の言葉がそれに負けてしまうのです。あるいは逆に、固有名詞が説明・報告だけの符号となり、まったく意味をなさなくなるからです。歌枕のように詩的なイメージのある固有名詞の場合は、そのイメージをうまく使えばよいのですが、なかなかそううまくはいきません。 具体的に情景を描写することが詩では大切です。しかし固有名詞を使うと、そのところだけは具体的になりません。固有名詞で逃げずに、自分の言葉でしっかり描写してほしいのです。 ただし、その「字義が活きる」ときは、固有名詞を使ってかまいません。例として李白の「贈汪倫」(汪倫に贈る)を見ましょう。
李白の「峨眉山月の歌」は固有名詞が五つ使われています。が、字義がうまく活かされていますので、うるさく感じません。 |
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14 李白、固有名詞を五つ使う | |||||
李白の「峨眉山月の歌」は以下のようです。
「峨眉山」は四川省西南の名山で、「峨峨」とした高い山が連なっています。この「垂直方向」の高さと、次句の「平羌江」の「水平方向」の広さとで、大きな空間を描き出しています。川面は正面方向から照る月の光でキラキラ耀いてゆったり流れていきます。第三句の「清渓」は出発地点ですが、「清」によって秋の水の清らかさを演出します。「三峡」は船旅の難所ですから、旅への不安から、月や別れてきた人々を思う「君を思う」へとつながります。ふり返ってみるがもはや見えない、そこで「渝州」へと下って行きますが、「渝州」の「渝」は、あらたまる・変化する、という意味がありますから、月も懐かしい人々も見えない悲しい気持ちを切り替えて、渝州へと下って行ったことが理解できます。 固有名詞の字義が風景描写や心理描写にうまく活かされていることが分かります。 なお、李白の「垂直」「水平」の詠いかたは、先に見た「汪倫に贈る」の
私たちは李白のような力量はないのですから、固有名詞は使わないようにするのがよいでしょう。固有名詞の字義が活きるなら構いませんが。 |
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15 詩は、想像し・感じて読む | |||||
名詩を読むとき、言葉使いや構成を吟味することはもちろんですが、言葉で表現されていないことを想像し、その詩の世界を感じるように読むと、センスが磨かれます。 例として晩唐・高駢の「山亭夏日」を読んでみましょう。
起句は、ジリジリといつまでも焼けつくような夏の日差し。だからこんもりと繁った木々の影がくっきり黒々と地面に落ちる。承句は、楼台の影が鮮やかに映っていることから、無風状態であることが分かります。これは、転句の「微風起こる」でさらに確信できます。しかも水辺ですから、ジトッとした蒸し暑さになります。 そのこと、詩を読んで肌で感じられますか? 転句。水晶の簾がサラサラ鳴り、そよ風が吹いた、と。因果関係からすれば、そよ風が吹いて簾が動くのですが、起句・承句のような状況、つまり、風もなくすべてが死んだような蒸し暑さのなかで、頭もボーとしていて、ほんの微かな音ではっとした、ということでしょう。 結句は、そよ風に乗って、棚に咲くバラの花の香りが庭いっぱいにただよったことを言います。「一」と「満」によって、一気に爽やかな香りが漂ったのであり、これで蒸し暑さも一気に消し飛んだことを言います。水晶の簾の音を聞き(聴覚)、その揺れているさまを見(視覚)、「微風」を感じ(触覚)、バラの花の香りをかぐ(嗅覚)、と五感(四感だが)に訴えて涼しさを詠うのです。五感で涼しさが感じられましたか? 前半は、頭がボーとする蒸し暑さ、だから後半のほんのわずかな風でも涼しく感じるのです。 人間の感覚に訴えて詠い、一字たりともゆるがせにしない緊密で絶妙な詩、と言えます。私たちは納涼の詩を作るとき、「暑い」と言い、雷が鳴り雨が降って「涼し」くなった、などと言いますが、この詩のように「暑」「涼」の字がなくてもそれを表現することができるのです。 |
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16 作詩の心得 | |||||
これまで述べてきたことをまとめてみましょう。 詩は、報告や説明ではない、作者のなんらかの「おもい」を「詠う」もの、ということです。だから詩を作るには、まず作者に「おもい」があるかどうかが問題になります。「おもい」は感動から生まれた未分化の「なにか」です。言葉では言えません。「思い」や「想い」とは違います。その「おもい」を、「詩のテーマ」つまり「言いたいこと・伝えたいこと」として「詠う」のです。「言いたいこと・伝えたいこと」をそのまま言うと、説明になり報告になります。「おもい」をいだいた風景や情景を具体的に描き、それによって読者に自分の「おもい」を感じ取ってもらうのです。「詠う」とはそういうことです。 「おもい」を「詠う」には、
詩を無理なく構成するには、
「おもい」は心の揺らぎから生まれますが、詩を作るときは理詰めです。 「言われたようにちゃんと作ったのに」「自分では具体的に風景を描写したのに」、いつもダメだと言われるのだ、・・・という声が聞こえてきそうです。そういう人は、とにかく ①名作をたくさん読んで、言葉と表現を覚え、構成の仕方を学ぶ ②詠う対象に迫り、切実に感じ取る ③何事にも素直に ということになります。 |
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17 素直に、そして柔軟に |
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巳年の新年の挨拶で「巳年とかけて何ととく」と謎かけをしました。「漢詩創作ととく」。その心は? 「やがて脱皮するでしょう」。結構うけましたが、その後何人の方が脱皮したでしょうか? 脱皮する=作詩のコツを掴む、これが上級へ行くかどうかのターニングポイントになります。 この講座の第二回で漢詩漢文の基礎を学ぶことが大切だと言いました。そこで、たとえば、一ヶ月間、三度の食事以外ひたすら漢詩を読み、読みながら気に入った表現をノートに書いてみてはどうでしょうか。作詩のコツを掴み脱皮する確率は格段に高くなります。たくさん読めば漢詩漢文の基礎を学ぶことにもなり、言葉も表現も覚え【漢詩の脳】になります。 作詩のコツは前回まとめましたが、簡単に言えば、 むずかしいことは言わない、理屈はこねない、楽しかったら「楽しい」と言わずに「楽しさが伝わる情景を具体的に」描写する。悲しかったら「悲しい」と言わずに「悲しさが伝わる情景を具体的に」描写する。 それだけです。 第一回で「上級」とは「自分の作品の瑕疵に自分で気づき、自分で推敲して高水準の詩を高確率で作れる」と一応定義しました。では「高水準の詩」とはどういう詩でしょうか。 それは前回ちらっと言いましたが、 無駄な言葉がない、訓読してスムーズに読むことができる、読み終わったときに理屈抜きで「ああいいな」と思われる詩ということになるでしょうか。おおざっぱな言い方ですが、「ああいいな」とは、当然詩としての内容がなければなりません。言葉に無駄がなく、訓読してスムーズに読むことができても、詩としての内容がないもの、内容が陳腐なものは、どうしようもありません。 では、「理屈抜きで」「ああいいな」という詩とは? これはまた古典をたくさん読まないと分かりません。詩を作るときも古典をたくさん読んでいないと作れませんから、古典を学ぶことが基本の基本ということになります。 詩を作ったら、しばらく放っておいてください。忘れたころにもう一度見直して、さらに推敲してください。推敲をかさねて「おもい」を純粋にしてゆくことによって詩としての内容も純粋になっていきます。 講評で、ここの言葉、表現がおかしい、と言われたら、それだけを直すのではなく、詩の全体を見直してください。一字換えたら、詩の全体をもう一度推敲してください。安易に終わりにしない、ということです。推敲して最終的に句が全部入れ替わることもあります。韻が換わることもあります。初案に拘泥すると推敲はできません。脳を柔軟にして空想力・想像力を働かせることが大切です。 「何事にも素直に」ということを前回の最後に挙げました。自然に対しても、古典に対しても、いつも謙虚で素直でいること、そして柔軟に発想すること、が作詩にとって大事です。 |
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18 名作鑑賞 王昌齡「芙蓉楼にて辛漸(しんぜん)を送る」 | |||||
名作をたくさん読むことが作詩にとって大切ですが、漫然と読んでいては何も得ることはできません。 これまでこの講座では読み方の一端を示しながら詩を鑑賞しましたが、これ以降も名作を取り上げて読んでゆきたいと思います。 言葉がどのようにつながり、活きているか、全体がどう構成されているかを検討し、作詩の糧にしたいと思います。 今回は王昌齡の「芙蓉楼送辛漸」(芙蓉楼にて辛漸を送る)です。 友人の辛漸が洛陽へ帰るのを芙蓉楼で見送った詩です。芙蓉楼は唐代の潤州(現在の江蘇省鎮江市)の牙城の西北隅に立つ城楼だったようです。長江に臨むように建っていて、対岸には瓜洲渡があり、大運河が北上しています。固有名詞が三つ使われていますが、送る側と送られる側の位置関係を示し、かつその一つは絶妙な働きをしています。
第一句の「夜呉に入る」の解釈には、大きく二つの説があります。 ①王昌齡と辛漸(またはそのどちらか)が夜に芙蓉楼のある呉にやってきた、 ②寒雨が夜になって芙蓉楼のある呉に降ってきた、と。それぞれ論拠としていることはもっともで、どちらとも決められません。ここでは両方の意味で理解しておきたいと思います。 冷たい雨が長江の水面にふりそそぎ、ここ呉の地方がすっかり雨につつまれてしまった。そのなかを、二人連れだってやってきた。明け方、辛漸を送り出すと、向こうに楚の山が一つポツンと聳えている。 別れの前日、「寒雨」が降っている、というのは、作者の寒々とした滅入る気持ちを表しています。「連江」の「連」は辛漸と連れだってきたことを連想させます。雨は翌日の朝、日の出る前の時間帯には晴れます。「平明」の「明」は、雨があがり、すがすがしい朝であることを連想させます。「楚山孤なり」は、雨に洗われた、清らかな山。「楚」は対岸の地名を言いますが、ひときわ秀でている、という字義をもちます。「楚山孤」から、すがすがしい早暁のとばりのなかで、頂上だけ朝日に照らされてひときわはっきりと山が見えていたことも想像されます。もちろん「楚山孤」は、辛漸が旅だったあとに「孤り」取り残された自分自身の姿をかさねています。起句の冷たい雨による滅入る気持ちが承句では孤独感として、より明確に詠われるのです。 そして第三句では、辛漸に、もし洛陽の親友が私の消息をたずねたなら、次のように答えてくれ、と言づてします。「一片の氷心(ひょうしん)玉壺(ぎょくこ)に在り」と。六朝(りくちょう)の詩人・鮑照(ほうしょう)の詩に「清らかなること玉壺の氷の如し」とあるのが出典だと言われますが、出典は知らなくても鑑賞はできます。また出典を超えなければ、名作には成り得ません。 言葉のはたらきを見ながら句意をとらえてきましたが、さらに全体を見渡すことによって、言葉のつながりが見えてきます。 第二句の、雨に洗われてすがすがしく見える一つの山は「一片の氷」に、朝のとばりにとざされたさわやかな風景は「玉の壺」に、第一句の、「寒雨」にふりこめられ冷たくなった心は「氷の心」に、それぞれ昇華されているのです。情をひそませた前半の風景が、第四句ではその情がさらに純粋に結晶化しているのです。 「一片の氷心(ひょうしん)玉壺(ぎょくこ)に在り」。 洛陽の親友がもし私の消息をたずねたなら、玉の壺のなかの一かけらの氷のような、澄みきった心でいるよ、と答えてくれ。この句は、逆境にある人の澄みきった孤高の精神を象徴しています。・・・・が、強がれば強がるほど、寂しくてたまらない、故郷へ帰りたい、と、こみ上げてくる望郷のおもいが伝わってきます。「一片の氷心」は「清らかに結晶化した寂しい心」と言ってよいでしょう。 |
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19 名作鑑賞 「詩的空間」に立つ | |||||
王昌齡の詩の「一片の氷心(ひょうしん)玉壺(ぎょくこ)に在り」のような名句があると、それだけでしみじみ心にしみます。が、何気ない句や表現で、しみじみとなる名詩もたくさんあります。例として李白の「洞庭湖に遊ぶ」を見ましょう。詩の題名は「族叔刑部侍郎曄及び賈舍人至に陪して洞庭湖に遊ぶ」。族叔の刑部侍郎であった李曄(りよう)と、中書舍人であった賈至(かし)のお伴をして洞庭湖に遊んだ、という長い題がついています。
固有名詞が「洞庭」「楚江」「長沙」「湘君」と四つ使われています。「洞庭」は長江中流域にあり、唐代最大の湖でした。「楚江」は、長江のことで、楚の地方を流れているのでそう言います。「長沙」は現在の湖南省長沙市。「湘君」は舜の妃(きさき)の娥皇と女英をさします。舜が南方を巡視し蒼梧の野で亡くなったのを知って、夫の後を追い湘水に身を投げて亡くなったと言われています。後、ともに湘水の女神として祀られます。 洞庭湖の西を眺めると、楚の地を流れる長江が分かれ、湖に流れ込んでいるのがはっきり見える。湖水が尽きるあたりの南の空には、一片の雲も見えない。日が沈むと、長沙のあたりには秋の気配がどこまでも漂っている。さて、どのあたりで湘君を弔えばよいだろうか。 口語訳はこれだけですが、さて、みなさんは何を感じますか。 李白の詩は、全体が、日本では見ることのできない大きな空間が描かれています。水平線の見える空漠としたひろがり。一片の雲もありません。 季節と時間帯は? 秋の夕暮れです。ただでさえ寂しい秋、空漠とした天地のなかにちっぽけな自分がいて、あたりはだんだん暗くなっていきます。こんな時、どのような心理状態になりますか? 李白と一緒にいる李曄は、長沙よりもさらに南の嶺南へ流される途中です。賈至は、やはり流されてこの洞庭湖の東の町の岳州に赴任してきていました。李白は夜郎に流される途中に恩赦にあってこの洞庭湖にもどってきていました。不遇な三人が洞庭湖に舟を浮かべているのです。 「楚」と言えば、戦国時代、入水自殺した屈原が思い起こされます。「長沙」と言えば、漢の賈宜(かぎ)が流されたところです。賈宜は屈原を弔いながら我が身の不遇を詠った「賦(ふ)」という作品を残しています。「湘君」の悲しい神話伝説と、多くの文人の悲しみの満ちている「楚」の広々とした空間、ましてや秋の夕暮れ。哀愁などというなまやさしい言葉では表現できない「おもい」です。「知らず何れの処にか湘君を弔わん」には、どうにもしようのない、払い去ることのできない深い「おもい」がこもっているのです。 実際にこうした風景を見たことがあればすぐに感じ取ることができますが、そうでない場合は空想しなければなりません。歴史も十分に識ったうえで、歴史人物の心情におもいを馳せる必要があります。その上で、それらを踏まえて詠っている詩人の「おもい」を感じ取るのです。「詩的空間」に立ち、作者と「おもい」を一つにする。詩を読む楽しみはそこにあります。 |
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20 七言絶句・第三句の許容形(拗体)について ―四字目の「孤平」は厳禁― |
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「詩的空間」に立ち、感じる。日本の詩や小説に日頃親しんでいる人は、ごく自然にそうしていると思います。 漢詩の場合は、外国の詩ですからちょっとハードルが高い。また、漢詩を作る場合、単なる説明や報告、感想で終わらずに、「詩的空間」をどう創るかが大切になります。作詩には古典の基礎が必要で、かつまた作者に「おもい」がなければいけません。作るに際しては、第十六回で挙げたコツを実践すればよいのですが、それがなかなか難しい、というわけです。漢詩は、急に上手にはなりません。一歩ずつゆっくり楽しみながら進むしかありません。 詩を作っていると、規則に関する疑問、言葉に関する疑問がわきます。 そこで、今回から数回にわたって、一度は抱く疑問にお答えします。 まずは七言絶句・第三句の許容形=拗体についてです。 七言絶句は、起・承・転・結の四句すべて「二四不同・二六対」「下三連を禁ず」を守ります。孤平も避けるべきで、特に四字目の孤平は絶対に避けなければいけません。「四字目の孤平を禁ず」と言うのはそのためです。 さて、平起こりの場合、第三句は、 △●△○○●● となります。△は、平でも仄でもどちらでもよいことを示します。 この場合、下三字の「○●●」を「●○●」としてもよい、とされています。これが許容の形=拗体です。入門書にも書いてあると思います。これは、「●○●」で作られている実例が多くあり、音韻的に「○●●」と「●○●」が等価とされたからです。 と、ここまではいいのですが、大事なことは、もしこのまま下三字だけを「●○●」にして △●△○●○● のように、三字目を△のままにしておくと、三字目を●で作ってしまい △●●○●○● のように、四字目が「孤平」の句になってしまいます。 七言絶句の「四字目の孤平を禁ず」は、下三字の許容形よりも優先されますから、四字目が「孤平」となる「△●●○●○●」は絶対に避けなければなりません。そこで入門書では、下三字を許容の形にする場合は「四字目の孤平」を避けて △●○○●○● としています。七言絶句の四字目は「孤平」になってはいけない、たとえ下三字が許容されても、四字目の「孤平」は許容されません。これは必ず守らなければいけません。 以下、許容の形=拗体の句を挙げてみます。有名な句ばかりです。
まだあります。
いずれも四字目が孤平にならないよう、三・四字はしっかり「○○」で作ってあります。 これは二六対にはなりませんが、先行する三字目・四字目の二つの平字で救われているのです。「二つの平字」がないと「孤平」にもなり「二六不同」も救えません。 |
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21 『唐詩選』の絶句について(一) | |||||
前回の説明で、次のように反論する方がいると思います。 平起の第三句の許容形で「△●●○●○●」と、第四字が孤平になっている詩が『唐詩選』にあるではないか。 次の詩です。
確かに第三句は「●●●○●○●」と、許容の形。しかも四字目が孤平になっています。そこで許容形の場合、四字目の孤平も許される、と勘違いする人がいるようです。 しかし、この詩、よくご覧下さい。第一句は「○○●●○○○」と下の三字が「平三連」になっています。「平三連」は古体詩の律法で、近体詩では禁忌です。つまり、この詩は第一句と第三句で、律を破っているのです。 作者は他の詩ではきちんと律を守っていますから、この詩は敢えて第一句と第三句の律を破り、新たな表現を模索したのではないか、と想像できます。第一句と第三句で律を破りながら、ちゃんとした詩ができるだろう、と、作者の笑みがみえるようです。 もし、平起の詩の第三句が「△●●○●○●」と、四字目が孤平になっている詩がたくさんあるならそれも許容できるでしょうが、そうでないなら「△●○○●○●」のみ許容すべきです。私が調べた限りでは三句目拗体で「四字目が孤平」になるものは、ありませんでした。拗体以外でも三句目の「孤平」は見つかりませんでした。三句目以外の句では、まま「孤平」があります。が、これは作者の志向と詩の内容から検討する必要があると思います。 |
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22 『唐詩選』の絶句について(二) | |||||
『唐詩選』の絶句には、今日私たちが作詩の標準としている形から外れた「拗体」がいくつかあります。いくつか例を挙げてみます。 A、第一句「二四不同・二六対」ではなく「二四同・二六不同」の詩 次の詩は平起ですが、本来は第一句二字目が仄でなければいけません。
「故人」のところを「朋友」や「故友」とすれば平仄は合いますが、リズムがゆるみます。 次は仄起。本来は第一句二字目が平でなければいけません。
「九月」を「今年」とすれば平仄は合いますが、第二句の「他席他郷」と対にならず、しまりがなくなります。仄起の詩ではその他、王昌齡「梁園」があります。 作詩の意図によって、第一句目は律から外れる場合がある、ということでしょうか。 B、第一句「二四不同」ですが、二字目と六字目が「二六対」でなく「二六不同」の詩
『唐詩選』ではこの一例だけです。 C、第一句と第二句が「反法」になっていない詩 楽府題ですが王維の「少年行」は一句二句が反法ではなく「粘」になっています。
他に、岑参「送劉判官赴磧西」があります。 D、第二句と第三句が「粘」していない詩 先に挙げた「蜀中九日」も二句三句が粘していません。沈佺期「邙山」も粘していません。
他に、劉庭琦「銅雀台」、王維「送沈子福之江東」、賈至「西亭春望」「初至巴陵与李十二白同泛洞庭湖」「岳陽楼重宴別王八員外貶長沙」、岑参「封大夫破播仙凱歌」一、杜甫「奉和厳大夫軍城早秋」などがあります。唐代では第二句と第三句の「粘」はそれほど厳しくなかったようです。 |
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23 七言絶句・第三句の仄三連と冒韻 |
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作詩講座では敢えて言いませんが、七言絶句・第三句の仄三連は、実は許されます。平仄で表すと、次のようになります。(△は平でも仄でもどちらでもよい) △●○○●●●(a) △○△●●●●(b) (a)の例としては ・復恐匆匆説不尽 復た恐る 匆匆として説き尽さざるを(張籍「秋思」) ・一去姑蘇不復返 一たび姑蘇に去って復た返らず(楼穎「西施石」) ・杳杳天低鶻没処 杳杳として天低れ 鶻の没する処(蘇軾「澄邁駅通潮閣」) などがあります。四字目が孤平になっていないことを確認してください。 (b)の例としては ・南朝四百八十寺(杜牧「江南春」) ・江風徹曉不得寐(李郢「宿白堂」) などがあります。杜牧の句は、二六対になるように、わざわざ 南朝四百八(はっ)十(しん)寺(じ) と読んでいますが、李郢の詩はどう読むのでしょうか、疑問です。「寐ぬるを得ず」と訓読しますから、知らないうちに「だまされる」のでしょうか。 六字目の入声を平の韻字として読み替える必要はない、という説があります。詳しくは小川環樹氏の論文「『南朝四百八十寺』の読み方―音韻同化assimilationの一例」をご覧ください。また、下の五字が仄五連になってもかまわない、という説もあります。 いずれにしても、第三句の「仄三連」の例はよく見ます。現代の学者が作る詩でも、なにげなく「仄三連」になっているものがあります。 許容と言えば、第三句は、冒韻も許されます。第三句は押韻しないからです。 が、しかし、作詩の勉強では「仄三連」も冒韻も、前回みた許容形も、できれば避けて正しく作るようにするとよいでしょう。許容の形に安易に頼らずとも、表現を工夫したり発想を変えたりすれば、より詩らしくなります。語彙力・表現力もつきます。 これまで挙げた幾つかの許容の句は、詩の名手が「おもい」を表現するために、それしかないのでそうしている、あるいは意図的にしていると思ってください。 規則を守ることによって、無限の広がりと可能性と創造性が生まれます。 |
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24 通韻について | |||||
押韻は、「ある韻目に分類されている韻字」を、七言絶句の第一句・二句・四句に用いることです。通韻は、「ある韻目に分類されている韻字」の枠を超えて、「隣り合った特定の韻目どうし韻字を共有できる」というものです。 ここで問題となるのは、 ・第一句・二句・四句の三箇所をすべて通韻してよいのか ・二箇所を通韻してよいのか ・通韻は一箇所だけなのか その場合、どの句を通韻してよいのか ということです。 解決方法は、何よりも通韻の具体例を見ることです。まず張籍の「秋思」。
次は元稹の「楽天の江州司馬を授けられしを聞く」。
杜牧の「清明」。
わずか三例ですが、通韻は第一句だけです。翻って考えるに、第一句は押韻しなくてもよい「踏み落とし」ができます。第一句・二句が対句の場合です。あるいは中には、対句でなくても踏み落としている例もあります。第一句は、融通がきくから、通韻もよろしい、ということかと思います。七言絶句をすべて調べたわけではありません。もしかしたら三箇所、あるいは二箇所通韻している例もあるかもしれません。読者のみなさんからの情報をお待ちします。 ちなみに、第一句を踏み落とした場合、第二句と第四句の通韻は可能か、という問題もあります。いまのところ、この二箇所を通韻した例は見つかっていません。 第二句と第四句はしっかり押韻し、第一句は通韻可能、と今は言っておきます。 ただ、本当に詩が上手になりたいなら、通韻に頼らない方がよいです。適切な韻字がないなら、発想を変えてみるとか、表現を工夫するとか、それでもだめなら韻目を換えてみるなどして、推敲に推敲を重ねるのです。その過程で自分の言いたいことがはっきり分かってくる、表現がすっきりする、ということがよくあります。 なお、「通韻」は「通押」とも言います。 |
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25 「有」と「在」について | |||||
「有」と「在」の使い方を間違う人が結構います。「有」は所有を表し、「在」は存在を表します。「私は本をもっている」は、 我有書 我に書有り と言います。「有~」は「~を所有している」ということです。「A有B」でAが場所なら、Aという場所にBがある、となります。 白雲生処有人家 白雲生ずる処 人家有り 白雲が湧くあたりに人家がある わざわざ「人家」が「有る」と言うのは、人家があるとは思いもしなかったが、なんと雲の湧くあたりに人家がある、といった驚きの気持ちがこめられます。なお「有~」の読み方は「~有り」で、送り仮名がつかずに返ります。 疑問で「どこかにBはある?」という時は「何処有B」(何れの処にかB有る)となります。 借問酒家何処有 借問す 酒家 何れの処にか有る ちょっと尋ねるが、酒家はどこかにあるかね。 「何処有酒家」(何れの処にか酒家有る)とすべきところを平仄の関係で「酒家」を先に言ったのですが、いずれにしても、酒家があるかどうか分からない、不安なおももちで、「酒家はあるかね、あるとしたらどこにあるかね」と尋ねているのです。もし 借問酒家何処在 借問す 酒家 何れの処にか在る ならば、「酒家があることは分かっているが、その酒家はどこにあるかね」ということになります。なお、「何処」は「いずく」と読んでもかまいません。 さて、「本は私の所にある」という場合は 書在我 書 我に在り となります。話題となっているその本は、私の所にある、ということです。「在~」は「~に在り」と、「に」という送りがながついて返ります。「在」の後には場所を表す語がきます。だから「~に在る」読むのです。 我在家 我 家に在り なら、「私は家にいる」です。 詩の例、
次の句は「安」という反語を表す語を使って「安在哉」(安(いず)くに在りや)と言っています。「どこにいるというのか? どこにもいない」という意味になります。なお、「哉」がなく「安在」となっていても意味は同じです。読み方は「安(いず)くに在る」です。 昭王安在哉 昭王 安(いず)くに在りや 昭王はいまどこにいるのであろうか。どこにもいない(もうこの世には存在しない)。 「有」「在」は詩でよく使われます。「もっている・ある」「~にある・存在する」ということですが、よく読むと微妙な働きをしていることが分かります。漢詩は、一字もゆるがせにできないですね。 |
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26 「残」について | |||||
「残」もよく詩に使われます。 「残(殘)」の第一義は、〈そこなう〉です。意味は、殺す、ほろぼす、傷つける、で、ちょっと物騒ですね。こわす、くずれる、やぶる、衰える、枯れる、しおれる、なくなる、という意味にも使われます。熟語を拾ってみると、 残花、残英、残葩 → 衰えゆく花。色あせ、しなびた花。散りゆく花。 残紅 → 衰えゆく紅色。散りゆく花。また、地に落ちた花。 残火 → 消えそうな火。 残灯、残燭 → 消えそうな灯火。 残照 → 消え入りそうな日の光。夕陽、落日。 残月 → 消え入りそうな月。有明の月。 残春 → 尽きそうな春。春のなごり。 残年 → 尽きそうな寿命。晩年。また、尽きそうな年。年の暮れ。 残夜 → 尽きそうな夜。明け方。 残夢 → 覚めかけの夢。夢うつつ。 「残」は、いまにもなくなりそうになって、残っているのです。 杜牧に「残夢」を詠み込んだ詩があります。 五律「早行」の頷聯。
馬に騎って朝早く出発する場面です。馬に揺られ、うとうとしながら林の中を進むと、落ち葉が飛び交い、その音にはっと我にかえる、と。「残夢を帯びる」、すぐに覚める浅い夢を帯びるのですから、うとうと眠る、ということになります。 ただし、「残」には〈のこる〉ととる方がよい例もあります。 杜甫の「暫く白帝に往きて復た東屯に還る」。
白帝城からふたたび東屯の田に帰って行くのは、稲刈りの仕事がまだ残っているからだ、と。はたけ仕事はみな終わったけれど、稲刈りはまだ残っている、ということです。 〈のこる〉の意味がより強調される例と言えるでしょう。 |
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27 「倚」のいろいろ | |||||
「倚」は「よる」と読み〈よりかかる〉〈もたれる〉という意味になります。 倚欄(欄に倚る) → 欄干によりかかる、もたれる 倚楼(楼に倚る) → 楼に上って上階の欄干によりかかる、もたれる 趙嘏(ちょうか)は「長笛一声 人 楼に倚る」の句が杜牧に激賞され、それで「趙倚楼」と呼ばれるようになったといいます(『唐才子伝』)。「倚楼」は、人が楼によりかかる、もたれている、というのではなく、楼の上階の欄干によりかかる、もたれる、という意味ですから、要注意です。 人はなぜ楼に上るのでしょうか。遠くまで見渡せますから、遠くの景色を眺めたり、遠く離れている人を懐かしんだり、遠くの故郷を思ったりするからです。詩に多く詠われる所以です。 杜牧の「秋感」
第二句は、「玉樹」の「秋」の「影」(すがた)が「一窓」(窓いっぱい)に「寒む」ざむとしている、ということです。漢文の文法どおりに表現すると「玉樹秋影寒一窓」(玉樹の秋影一窓に寒し)となるのでしょうが、平仄が合いません。詩では漢文の文法が崩れることが多々あります。これがまた、中級人の迷うところでもあります。 詩に独特の句の構成、これを「詩の文法」と言ってよいでしょうが、これについてはいずれまとめて考えたいと思います。 さて、人が「倚る」のは、「欄」「干」「檻」(以上みな欄干)「楼」「亭」だけではありません。「風に倚る」こともあります。 倚風(風に倚る) → 風に身をゆだねる 「倚る」は、ゆだねる、任せる、という意味になります。 「人」ではなく、物が「倚る」場合もあります。 倚天樓殿(天に倚る楼殿) → 天にそそりたつ楼殿 天によりかかる・もたれる楼殿では分かりません。「倚る」は天空に近づく、迫る、といった感じです。高大な宮殿を言います。 檣倚酒旗邊(檣は倚る酒旗の辺) → 帆柱は酒屋ののぼりのあたりによりそっている この「倚る」は、よりそって立つ、ということです。よりかかってはいません。 |
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28 「弄」について | |||||
「弄」は音はロウ、訓はもてあそぶ。「もてあそぶ」と言うと、おもちゃにしたり、なぐさみものにしたり、とあまり語感がよくないのですが、〈たのしむ〉ことがその底辺にあります。 弄晴(ロウセイ、晴をもてあそぶ) → 晴天に乗じて遊び楽しむ 弄月(ロウゲツ、月をもてあそぶ) → 月を眺め楽しむ 李白の「山僧に別る」
とあります。 楽器を演奏して楽しむことは「弄琴」「弄瑟」「弄笛」「弄簫」などと言います。もちろん「琴を弄す」「琴を弄ぶ」と読んでもかまいません(瑟も笛・簫も同じ)。 「弄馬」なら馬を乗り回して楽しむ 「弄舌」はよくしゃべることです。 書画を楽しむときは「弄翰」と言いますが、弄翰戯語(ロウカンギゴ) → 慰みに書いたものやたわむれの語 という四字熟語があり、マイナスイメージになることもあります。 「弄筆」(ロウヒツ、筆をもてあそぶ)という語もありますが、これは筆に任せて事実をまげて書く という意味になりますから、要注意です。 これまでは人が弄ぶという例でしたが、物が弄ぶ、という例もあります。 王安石の「鍾山即時」。
第二句の「春柔」は、春のやわらぎ。花や草が春のやわらいだ気配を楽しんでいる、ということ。 陸游の「早春新晴」に
ともあります。「霽色」と対(つい)になる語ですから、ここの「春柔」も、王安石の使い方と同じく、春の柔らかな気、といった意味です。「春柔」を「春の柔い草木の枝」と説明し、その用例として陸游のこの句を引用している漢和辞典もありますが、それはいかがなものでしょうか。 |
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29 「煙」について(一) | |||||
植物などの固有名詞は、漢字とその指し示すものが、日本と中国とで違うものが多く、詩を読んだり作ったりする場合、気をつけなければいけません。 今回は、やはり間違いやすい「煙」について見ます。 「煙」は「烟」とも書きます。 「煙」というと、私たちはすぐに、火で燃やしたときに出てくる〈けむり〉を想像しますが、漢詩では圧倒的に〈もや〉〈かすみ〉〈きり〉などの〈けむっているもの〉をさします。ですから、人が立てる〈けむり〉の場合には、 平沙萬里絶人煙 平沙 万里 人煙絶ゆ(岑参「磧中の作」) のように「人煙」と言ったり、 積雨空林煙火遲 積雨 空林 煙火遅し(王維「積雨網川荘の作」) と「煙火」などと言います。「人煙」も「煙火」も〈炊事の煙り〉です。五言ですが 大漠孤烟直 大漠 孤烟直し(王維「使いして塞上に至る」) の「孤烟」は、〈ひとすじの煙り〉ですが、〈のろしの煙り〉とする説と〈炊事の煙り〉とする説の二つがあります。 ちなみに〈のろしの煙り〉は「狼煙」と言います。 〈炊事の煙り〉は「炊煙」です。 お茶を煮るときの煙りは「茶煙」です。 杜牧の有名な句。(杜牧「禅院に題す」
「煙」は湯を煮る風炉から立ち上る煙りです。あるいは湯気も含まれるかもしれません。 「煙花」は〈春のかすみにけむる花〉。春は風景が全体的にボーとかすんでいるので、想像しやすいと思います。 煙花三月下揚州 煙花 三月 揚州に下る(李白「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」) 煙雨」は〈けむるように降る雨〉。〈霧雨〉と訳すこともあります。 多少樓台煙雨中 多少の楼台 煙雨の中(杜牧「江南の春」) |
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30 「煙」について(二) |
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「煙」が一字で使われる場合は、おおむね白っぽいもの、を連想します。 が、いろいろ用例をみていると、白っぽいだけに周りの色が映っているのでは、と思われる句があります。 たとえば次の句 (杜牧「朱坡に遊びしを憶う」)
雨に濡れながら蓮池のほとりを通り過ぎ、モヤにつつまれて竹林の村へと下りて行った、という「煙」は竹の緑が透けて見えているのではないか、と思うのです。 次の「春煙」は〈春のもや〉です。 柳綠更帶春煙 柳は緑にして更に春煙を帯ぶ(王維「田園楽」) この「春煙」は何色でしょうか。やはり柳の緑を透かして緑色に見えている、とも思えます。 「春煙」は柳が帯びているのですが、 柳そのものが「緑にけぶっている」という表現もあります。 含煙一株柳 煙を含む 一株の柳(杜牧「独柳」) この詩は、柳そのものに焦点をあてて詠う「詠物詩」ですから、「煙」は柳が芽吹いてボーと緑にかすんでいることを言います。 「柳煙」という言葉もあります。 〈もや〉〈きり〉と言うと、白っぽいものを想像します。が、もやっているものは、周りの風景や時間帯によって色が違って見えるはずですから、詩全体からモヤの色合いを想像する必要がある、と思います。 次の句は、〈紫色の煙〉とはっきり言っていますから、分かりやすいです。 日照香爐生紫煙 日は香炉を照らして紫煙を生ず(李白「廬山の瀑布を望む」) |
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31 「暮煙」と「暮霞」 | |||||
「煙」は平声ですから、仄声で言いたいときには「靄」を使います。同じ意味で平と仄の両方の漢字がたいていはあります。「所」「處」(仄)と「攸」(平)もそうです。 前節の「紫煙」は「紫」があるので紫色の朝モヤと分かりますが、何も修飾語がついていない「煙」「靄」も、白っぽいだけでなく、その前後の語句から色合いを読み取る必要があります。 杜牧の、蘇州の楓橋を思い出している詩「呉中の馮秀才を懐ふ」を見てみましょう。
この「暮煙」は「ゆうもや」です。夕もやと言うと夕焼けを連想しますが、「秋雨」が降っていますから、雨にけむる夕方のモヤ、肌寒く薄暗い感じのモヤ、ということになるでしょうか。馮秀才と何年も会っていない、という詩ですから、その寂しさを詠うのにピッタリの情景です。 次の「暮靄」はどうでしょうか。「揚州の禅智寺に題す」、五言律詩です。頷聯と尾聯は省略します。
この「暮靄」は、雨がやんだあと、木々のあたりに漂うモヤです。白っぽいモヤでもいいですが、「斜陽」の「紅」と対になっていますから、木々の緑を透かすような、ちょっと青っぽいモヤということになります。 「靄・煙」が「青い」はずはない、と疑問に思うかもしれませんが、「紫煙」についてはすでに見ました。「青」も次のようにはっきり言う詩があります。 月白煙靑水暗流 月白く煙青く水暗に流る(杜牧「猿」) |
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32 「霞」は〈赤い雲気〉と〈きれい〉 | |||||
「煙」に〈かすみ〉の意味があるなら、「かすみ」と読む「霞」は何でしょうか? 「霞」は赤い雲気で、〈朝焼け〉または〈夕焼け〉をさします。 〈朝焼け〉は雨の降る前兆なのでその日は外出を見合わせ、〈夕焼け〉は晴天の前兆なのでその翌日は遠くへ行く、という言い伝えがありました。 朝霞不出門、暮霞行千里 朝霞には門を出でず、暮霞には千里に行く 李嘉祐の詩にも 朝霞晴作雨 朝霞 晴るるも雨と作(な)る(仲夏江陰の官舎にて裴明府に寄す) とあります。 「霞」が外城・内城を照らす様子を、杜牧は「揚州」其の三に次のように詠います。
この「映」は朝焼け・夕焼けが城を照らす、という意味です。城は城壁で、二重になっていました。内壁を「城(じょう)」、外壁を「郭(かく)」と言います。 いずれにしろ「霞」は〈あかい色〉を連想させます。そこで「衣服の赤い」ことに喩えたり、「なまめかしい」「あだな化粧」という意味にも使います。 「霞」のつく熟語に 霞衣 美しくうすい衣 霞裾 霞のように美しいもすそ 霞扉 美しいとびら 霞鋪 うつくしい敷物 などがあります。 「霞」にはもう一つ重要な意味があります。「仙人は霞をたべて生きる」と言うように、 「霞」に「仙」のイメージがついています。 以下のような熟語があります。 霞衾 仙人の用いるふすま(夜具)、美しい夜具 霞人 仙人 霞洞 仙人のいる所 霞杯 流霞杯。流霞は仙酒の名。 いずれも〈あかい色〉が基本にあります。 中国の仙人は赤い色のカスミを食べますから、仙人の像は、ふっくらとしていて顔もつやつやしています。 |
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