鷲野正明 中級のための漢詩創作
 
ーさまよえる中級人にむけて  其の2ー
                                          令和元年10月18日~
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 NEW 33雲について(一)「白雲」

「雲」は、水蒸気が上昇し、上空で冷えて水滴や氷の粒となり、それが一団となって浮かんでいるものを言います。しかし、昔の中国では、「雲」は山の洞穴に住んでいて、朝、洞穴から湧き出て、晩にはそこに帰るものと考えられていました。陶淵明の「帰去来の辞」に

雲無心以出岫  雲は無心にして以て岫(しゅう)を出で

鳥倦飛而知還  鳥は飛ぶに倦みて還(かえ)るを知る

とあります。「岫」は山の洞穴のことで、「岫雲」と言えば、山の洞穴からわきでる雲です。

杜甫の七言律詩「返照」(頷聯)には

 

  返照入江翻石壁  返照は江に入りて石壁に翻り

  帰雲擁樹失山村  帰雲は樹を擁して山村を失す

「夕映えは川に差し込んで絶壁にちらちらと反射し、山に帰ってゆく雲は山の木々を包み込み、村も見えなくなってしまった」と言います。

雲と言えば「白」です。「白雲」は、ふつうに白い雲を言う場合もありますが、次のイメージで詠われることがあります。

白雲 = 社会的な束縛から解き放たれている → 自由の象徴

 このイメージをさらに限定すると

白雲 = 隠遁の比喩

 となります。杜牧の「山行」(承句)

白雲生処有人家  白雲生ずる処人家有り

の「人家」は、白雲のイメージから「隠者の住まい」となります。この「白雲=隠遁」のイメージをより端的に詠うのが、王維の「送別」です。

 

  下馬飲君酒  馬より下りて君に酒を飲ましむ

  問君何所之  君に問ふ 何の之(ゆ)く所ぞ

  君言不得意  君言ふ 意を得ず

  帰臥南山陲  帰りて南山の陲(ほとり)に臥せんと

  但去莫復問  但だ去れ 復た問ふこと莫(な)からん

  白雲無尽時  白雲 尽くるの時無し

 最後の聯は「君がそのつもりなら、去るがよい。もう二度と問うこともやめよう。君の向かう所には白雲が尽きることなくわき上がっている」という意味です。

 「白雲郷」は天帝のいる所、仙郷。「白雲居」は仏寺を言います。

   
  NEW  34 雲について(二)「青雲」
 

 「青雲」は、「青い雲」「青みがかった雲」ですが、詩でのイメージは、

①白雲とまったく逆のイメージ

②白雲と同じイメージ

の二通りあります。①の白雲とまったく逆のイメージは、拙著『はじめての漢詩創作』にも書きましたが、「青雲」の前後のことばが省略されたものと考えられ、すべて補うと

青雲 = 高く青い空に浮かぶ白い雲

ということになります。高いところにある雲なので、転じて高位高官をさします。

白居易に「青雲」を用いている詩があります。五言古詩「初授拾遺」(初めて拾遺を授けらる)です。

   驚近白日光  白日の光に近づくに驚くも

   慙非青雲器  慙づらくは青雲の器に非ざるを

「輝く太陽に近づいたことに驚き、青雲の器ではないことが恥ずかしい」。白日(輝く太陽)は皇帝の比喩です。皇帝のおそばにお仕えすることになったことに驚きながらも、高官の器ではないことが恥ずかしい、というのです。

「青雲の志」は、大きな望み、です。張九齢に「照鏡見白髪」(鏡に照らして白髪を見る)があります。

 
   宿昔青雲志  宿昔 青雲の志

  蹉跎白髪年  蹉跎たり 白髪の年

  誰知明鏡裏  誰か知らん 明鏡の裏

  形影自相憐  形影 自ら相憐れまんとは

②の白雲と同じイメージは、山林に風月を友とするような隠逸の生活、高尚な志操、ということです。隠逸の生活をする人を「青雲客」、青雲の客(かく)と言います。

 詩では、②はあまり見かけません。「白雲」があるからでしょう。

 学生に「青雲とはどんな雲か」と質問すると、みな「お線香」とか「お線香の煙」と答えます。

  NEW  35 雲について(三)「<>+雲」
 

青雲のように、「色」+「雲」の語がいくつかあります。「~色の雲」「~がかった雲」という意味になります。そして以下のようなイメージや他の意味合いが加わったりします。

紫雲 = めでたい雲

紅雲 = 夕焼け雲、朝焼け雲

緑雲 = みどりがかった雲

①豊かな黒髪 → 美人 

②青葉がさかんに繁るさま

翠雲・碧雲 = みどりがかった雲

  「緑」は身近で、あたたかな感じ。「翠」「碧」は、凛とした感じです。

黄雲 = ①黄色いめでたい雲。

②黄砂などを含んだ雲 → 荒涼としたイメージ

      ③稲や麦が黄色く実っているさま。

代表的な詩として、②は、高適の「別董大」(董大に別る)。

    
   十里黄雲白日曛  十里の黄雲 白日曛(くら)し
    
   北風吹雁雪紛紛  北風 雁を吹いて雪紛紛

 莫愁前路無知己  愁ふる莫かれ 前路に知己無きを

  天下誰人不識君  天下 誰人(たれひと)か君を識らざらん

   ③は、日本漢詩ですが、虎関師練(こかんしれん)の「秋日野遊」。

 

  浅水柔沙一径斜  浅水 柔沙 一径斜めなり

  機鳴林響有人家  機鳴り林響きて人家有り

  黄雲堆裏白波起  黄雲堆裏 白波起る

  香稲熟辺蕎麦花  香稲熟する辺 蕎麦の花

赤雲 = (不気味なほどに)真赤な雲 → 不安をかきたてる赤い雲

 杜甫の「羌村」其の一に

 

  崢嶸赤雲西  崢嶸 赤雲の西

日脚下平地  日脚 平地に下る

「西の空に聳え立つ真赤な雲、その雲の切れ間から夕陽の日脚が平原に差し込んでいる」。  妻子を疎開させている鄜州羌村に帰ってきたことを詠う冒頭です。妻子は息災でいるだろうか、と不安な気持ちが反映されています。

  NEW  36 雲について(四)「浮雲」
 

 「浮雲」は、浮き雲です。『論語』には

  不義而富且貴、於我如浮雲(述而

  不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し

「不義をはたらいて金持ちになり身分が高くなるのは、私にとっては浮き雲のようなもの」。つまり、不義で手に入れた富貴は自分には無縁なもの、というのです。正義による正当な富貴はよい、というのであって、いつも清貧であれというのではありません。いずれにしても、浮雲は、遠く離れて無縁であること、当てにならないことを言います。

 漢詩の世界では、浮き雲は、あてもなくどこへでも漂い流れてゆくため、旅人に喩えられます。

杜甫は「春日憶李白」(春日李白を憶ふ)でずばり言います。

 

   浮雲終日行  浮雲 終日行き

   遊子久不至  遊子 久しく至らず

浮雲は一日中流れ去って行き帰ってこない。そのように旅人も行ったまま帰ってこない、と。

 李白は「送友人」(友人を送る)で

 

   浮雲遊子意  浮雲 遊子の意

   落日故人情  落日 故人の情

「流れ行く雲は旅人である君の心を、紅くもえる夕陽は別れを惜しむ私の情をあらわすかのようだ」と言います。旅人の不安な心と、別れをおしむ故人(友人)の情を詠います。良い詩ですので、全詩を挙げておきましょう。

 

   青山横北郭  青山 北郭に横たわり

  白水遶東城  白水 東城を遶る

  此地一為別  此の地 一たび別れを為し

  孤蓬征万里  孤蓬 万里に征く

  浮雲遊子意  浮雲 遊子の意

  落日故人情  落日 故人の情

   揮手自茲去  手を揮って茲より去れば

   蕭蕭班馬鳴  蕭蕭として班馬鳴く

 第四句の「孤蓬」も、あてもなくさまよう旅人を言います。

  NEW  37 雲について(五)「朝雲」
 

「朝雲」は、朝の雲、つまり朝焼け雲です。「霞」も朝焼け雲を言うことがありますが、同じ朝焼け雲でも「朝雲」はちょっと特殊で、男女の色恋を連想させる、艶っぽい雲です。

戦国時代・宋玉の「高唐の賦」の序に、楚の懷王の故事が語られています。

  昔、懐王が高唐観に遊び、疲れて昼寝をしたところ、夢の中で美しい女性が現れ、王に向かって言った。「わたしは巫山の神女で、高唐観に厄介になっています。王がここにいらっしゃることを聞いて、枕席を温めにまいりました」。

王はこの女に情けをかけてねんごろになった。

女が去るにあたって言うには、「わたしは東山の南、高丘の嶺にいて、夜明けには朝雲(ちょううん)となり、日暮れには行雨(こうう:にわか雨)となって、毎朝毎晩、陽台のもとに参ります」。

翌朝、王が陽台の方を眺めると、果たして女の言う通りだったので、神女を祀って廟を建て、朝雲と命名した。

この説話から、後世の詩文では「雲雨」よって妖艶な女性や、男女の交情を喩えるようになりました。

李白の「清平調詞」にも詠われています。


     一枝紅艶露凝香  一枝の紅艶 露 香を凝らす

  雲雨巫山枉断腸  雲雨巫山 枉(ま)げて断腸

「一枝の紅く艶やかな牡丹の花は、結ぶ露ごとに香りを漂わす。この美しさを前にしては、朝雲(ちょううん)となり行雲(こううん)となって現れた巫山の神女への恋心さえ、空しくおもわれる」。もちろん、牡丹の花の美しさは、楊貴妃の美しさです。

 李白の「早発白帝城」(早に白帝城を発す)の起句

  朝辞白帝彩雲間  朝に辞す 白帝彩雲の間

の「彩雲」は朝焼け雲です。白帝城のある地方は楚の国ですから、李白が「彩雲」と表現したのは、故郷に残してきた女性を思い出しているのだ、という説もあります。

 

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