鷲野正明 中級のための漢詩創作
 
ーさまよえる中級人にむけて  其の4ー
                                          令和7年11月15日~
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  NEW  90 比喩表現「~のよう」

「如」「似」は、比喩によく使います。

早い例では、『詩経』王風・采葛に次ようにあります。

彼采葛兮 彼(かしこ)に葛(くず)を采(と)る
一日不見 一日見ざれば
如三月兮 三月の如し

彼采蕭兮 彼に蕭(しょう)を采る
一日不見 一日見ざれば
如三秋兮 三秋の如し

彼采艾兮 彼に艾(がい)を采る
一日不見 一日見ざれば
如三歳兮 三歳の如し


   あそこで葛を刈っている人がいる。
   一日でも会わないと、
   三か月も会わないような気がする。
   刈るものがさらに「蕭」から「艾」(どちらもヨモギ)へと代り、
   三か月が「三秋」になり、「三歳(三年)」になる。
   会わないと相手を思う気持ちがどんどん強くなるのです。


「如」は「ごとし」と読み、「~のようだ」という意味

「似」は「にる」と読んだり、「ごとし」とも読む。

「如」は平声、「似」は仄声。

この語を使えば、「~のようだ」と喩えていることがすぐにわかります。「明喩」と言われる所以です。

『詩経』の表現技法は「比(ひ)」(比喩・明喩)のほかに、「賦(ふ)」(直叙)「興(きょう)」(暗喩)があります.

   NEW  91 比喩表現  続き 1
 比喩表現(続き 1)
 
今日の詩でもよく「如」「似」を使って何かに喩えることがよくありますが、
それって、どう表現してよいか困って、安易に「~のようだ」と言っていませんか。

例えば「如画」(画の如し)、絵のようだ

一般的に「如画」(画の如し)とあったら、とても綺麗だ、ということですが、それはどのような風景で、どのように綺麗なのですか。

作者が綺麗だというその風景が具体的に描かれていないと、読者は何もわからない

そもそも綺麗の基準は人によって違うし、「画」「絵」の捉え方も人によってちがいます

ムンクの絵が好きな人もいれば、印象派のような絵が好きな人など、好みはそれぞれです。

これは極端な屁理屈のような言い方ですが、いずれにしても「画のようだ」と言っても、作者と読者が共有できる具体的な風景が描かれていないと、理解不能となります。

表現することを放棄して、安易に「~の如し」と言うのは、避けましょう

   NEW  92 比喩表現  続き 2

比喩表現には、ほかに

「恰似」まるで~のよう 

「猶似」あたかも~のよう

「似」及ぶ、匹敵する

などもあります。

杜牧の「汴河阻凍」

  汴河阻凍     汴河(べんが)にて凍れるに阻まる)。
千里長河初凍時 千里の長河 初めて凍る時
玉珂瑤珮響參差 玉珂(ぎょくか) 瑤珮(ようはい) 響き参差たり
浮生恰似冰底水 浮生は恰(あたか)も似たり 冰底の水に
日夜東流人不知 日夜東流して 人知らず

    汴河が凍結して立ち往生したときの作。
   長い汴河が凍りはじめた時、
   馬の玉飾りや、人の佩び玉が触れ合う響きが、あちこちで入り乱れた。
   はかない人生は、氷の下を行く水のようだ。
   昼も夜も東に流れているのに、人は気がつかない。

状況が具体的に描かれているので、転句の「浮生は恰(あたか)も似たり冰底の水に」が実感としてよく理解できます。
川の水は、時間が過ぎ去るだけで戻ってこない、という無常を詠うのに用いられます。
この詩はしかも氷の下水です。冷たさや辛さも加わります。
結句の「人知らず」は、意識しなくても時間は過ぎていくことを言い、承句のきらびやかな描写と相俟って無常感を際立たせます。

それにしても、承句は貴顕の人々の慌てぶりが手に取るように分かります。

比喩表現は、風景や情況を具体的に描写しないと、ただの説明や感想になるので気を付けてください。